先日の『晴海コンパニオン物語』放送に合わせて、その前の時間帯に『トレンディドラマの裏側全て語っちゃいますSP』なる新録のトーク番組が放送されていた。出演者は、浅野ゆう子、陣内孝則、柳葉敏郎らのトレンディドラマ常連だった面々。


http://wwwz.fujitv.co.jp/otn/b_hp/912200029.html


タイトル通りの内容で、この三人が出演している『君の瞳をタイホする!』から浅野ゆう子が浅野温子と共演してW浅野ブームを巻き起こした『抱きしめたい!』、そして陣内と柳葉の再共演となった『愛しあっているかい!』の撮影秘話に花が咲いた。そして、いかにしてトレンディドラマが生まれてきたのかにもスポットが充てられた。それが『晴海コンパニオン物語』である。


『君の瞳をタイホする!』(1988年1月-3月)が制作および放送される前の1987年に制作がなされたものの、放送されたのは『抱きしめたい!』(1988年7月-9月)が終わった後の1988年10月15日で、さらに夕方4時からの再放送枠という不憫な作品となってしまった。おそらく、よっぽどのトレンディドラマ好きか浅野ゆう子ファンでもなければ知らなかった作品だろう。


では、なぜ『晴海コンパニオン物語』は不遇な扱いを受けたのだろうか?


今回初めて、公にその理由が語られた。


フジテレビの編成部が、制作部が作ってきた『晴海コンパニオン物語』を「オンエアするに値しないもの」と斬り捨て、その理由が「浅野ゆう子」が主演だったからである。


ピンと来ない方も多いと思うから平べったく説明すると、制作部とは文字通りに番組制作するところで、編成部とは自局の番組表を組むところ。たとえば、金曜夜の9時にどんな番組を放送するのか、はたまた十代に人気のアイドル俳優のドラマをどの時期のどの時間帯に放送するのか、その決定権が任されているところである。


こうした力関係の置かれたなか、当時の浅野ゆう子に商品としての魅力がフジテレビ的にはなかったのだ。これは他のテレビ局も総じてそうであった。80年代後半、二十代後半に入っていた女優・浅野ゆう子のテレビドラマにおけるキャリアは惨憺たるもの。ウィキペディアに書かれてあるように、たまに2時間ドラマか1時間の単発のサスペンスぐらいなのである。


とくにフジテレビは顕著で、出世作となった1988年1月~3月放送の『君の瞳をタイホする!』以前、浅野ゆう子出演作は関西テレビ制作の単発1時間ドラマの主演が数本、フジテレビ制作のものは2時間ドラマの脇役が一本しかなかった。余談ながら、1986年2月に『オレたちひょうきん族』の“タケちゃんマン”コーナーのメインゲストで出ていたものの、それさえも同時期の日本テレビの木曜スペシャル『タモリのいたずら大全集』出演(浅野がコーナー進行役となって『オレたちひょうきん族』出演者に楽屋裏でいたずらを仕掛ける)のバーターであった。


また映画でも1986年8月公開の東映映画で中山美穂や仲村トオルが主演の夏休み向け映画『ビーバップハイスクール 高校与太郎哀歌』に出ていて、この映画自体はヒットしたのだが、浅野はといえば本筋にほとんど関係ない添え物的な出演で誰も覚えちゃいないものであろう。


トーク番組内で吐露していたが、こんな惨憺たる状況のなかで浅野がこれからどうしていこうか迷っていた時期に出会ったのが『晴海コンパニオン物語』であり、浅野にオファーしたのがこの作品や後の『君の瞳をタイホする!』や『抱きしめたい!』のプロデューサーであった山田良明(当時・フジテレビ第一制作部、現・共同テレビ社長)。山田は日本テレビ「火曜サスペンス劇場」に主演している浅野(おそらく1987年3月10日放送の『知りすぎた女』)を観て、ピンと来るもの感じて出演オファー。また、当時自らがプロデュースしていた国生さゆり主演のティーン向けドラマ『キスより簡単』(1987年5月-7月) に出演していた賀来千香子、室井滋、三浦洋一らオトナの出演者を配した。


2時間ドラマであっても謎解きミステリーでもなく、愛憎サスペンスでもない。しがないイベントコンパニオンの業界物語をコメディータッチに綴ったものである。たしかに、当時は業界モノドラマが流行っていた が、それらはマスコミに限定されてあって、その名残か浅野の同棲相手の三浦洋一の職業がフジテレビのディレクターではあるものの、ドラマの台本読みのリハシーンくらいで、業界モノドラマの醍醐味である実際のテレビ局の内部がロケで出てきたり、著名芸能人の本人役でのカメオ出演などはなし。トレンディドラマのプロトタイプ的なものは端々に感じるが、出演者の“ネームバリュー”で魅せるわけでもなく、かといって2時間ドラマの王道的な手法も持ち込まないし、流行を追いかけた手法もない。捉えどころのないドラマといったほうがいい。


このような制作部の本位で作られたものは、大概にして編成部と軋轢を生む。


それに、この1987年は浅野はグラビアに活路見いだしていて、『週刊プレイボーイ』で先行披露したセクシーショット満載の写真集『Night On Fire !』で一躍話題呼んでいたが、これが余計に先述のフジテレビの編成部の態度を硬化させていたかと個人的には思う。


というのは、『晴海コンパニオン物語』は「金曜ドラマチックナイト」(21:00~22:54)枠での放送を目指していたのだが、このドラマ枠は視聴者層の区分ではF2層(35歳から49歳の女)やF3(50歳以上の女)が観るものであって、当時の浅野ゆう子のイメージや『晴海コンパニオン物語』の内容とは折り合わないものだった。


1987年秋の「金曜ドラマチックナイト」枠のタイトルと主演と相手役をざっとならべてみると、以下の通りである。まさにおばさん好みのラインナップそのもの。


10月23日 「松本清張の地方紙を買う女」小柳ルミ子、露口茂

10月30日 「瑠璃の爪」市原悦子、永島暎子

11月6日  「消しゴムお亜季5」いしだあゆみ、梅宮辰夫

11月13日 「一日未亡人」丘みつ子、中山仁

11月20日 「スキャンダル・美しい脅迫者」沢田亜矢子、早乙女愛

11月27日 「顔をなくした女」大場久美子、岡本富士太


たしかに、10月16日にチェッカーズの高杢禎彦と藤井郁弥主演の『オレたちの探偵物語』なるT層(13-19歳の男女)やF1層(20-34歳の女)の若者狙いのドラマが放送されるも、改編期だけに裏番組の日本テレビ「金曜ロードショー」枠では『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』がテレビ初放送、TBSでは1987年秋のドラマ一番のヒットとなった明石家さんま&大竹しのぶ主演の『男女七人秋物語』などがあって、ものの見事に撃沈した。もしもの話として、当時この枠でこの時期にスムーズに『晴海コンパニオン物語』が放送出来たとしても反響を得られたとは考えにくい。


1987年秋のフジテレビの連続ドラマは総じて低調。ドラマ番組が集中する前日木曜の『スケバン刑事』シリーズの後番組となった『少女コマンドーIZUMI』は初回に視聴率一桁を出して打ち切り決定、人気絶頂期であったのにもかかわらず中山美穂主演の『おヒマなら来てよネ!』や中井貴一と国生さゆり共演の『女も男もなぜ懲りない』はどちらも視聴率10%前後と振るわなかった。安永亜衣が鬼みたいなメイクしてゴルフのクラブの5番アイアンを凶器にする水曜夜8時の大映ドラマ『プロゴルファー祈子』も80年代大映ドラマブームの曲がり角過ぎてしまった頃だけに内容も視聴率も空回りしていた。


唯一、月9ドラマ枠でのとんねるず主演『ギョーカイ君が行く』が毎回10%後半を獲る。ちなみに相手役には日本テレビ『あぶない刑事』(1986年10月-1987年9月)とTBS『パパはニュースキャスター』(1987年1月-3月)で十代からも抜群の知名度を得ていた浅野温子がキャスティングされていたのも効いていた。月9ドラマ枠はこの年の春にそれまでのバラエティ番組枠から連続ドラマ枠に変換され、その第1弾の『アナウンサーぷっつん物語』から好評を博していた。そして、この枠最大の特徴は、ブームとなってた業界ドラマに徹したことで、十代から二十代前半の若い世代の憧れを惹いていたことである。この枠での業界ドラマは『ギョーカイ君が行く』の後番組の東山紀之主演『荒野のテレビマン』を最後にして、翌1988年1月からあの『君の瞳をタイホする!』が始まる。


『晴海コンパニオン物語』がお蔵入りになってしまった山田良明プロデューサーは、このドラマにおいて再度浅野ゆう子を起用。いよいよトレンディドラマの伝説が始まる。ただし、陣内孝則、三上博史、柳葉敏郎ら男性陣をメインにおいての相手役というポジションであった。これは浅野ゆう子に価値見いださない編成部の眼をごまかすためだと思うが、この1クールのドラマの放映後、いや放映中、浅野ゆう子の商品価値は劇的に転換していく。


そのことは「トレンディドラマ」ジャンルの次回で書こう。どうぞお楽しみに。