第5話のタイトルは、「ビバリーヒルズ・コップ現わる!!」、しかし、当然エディー・マーフィが登場するわけはなく、冗談にキレがないジョニー大倉が今回のゲスト。そして、タイトルのビバリーヒルズ・コップとは、ジョニー大倉がロスで扮した偽白バイ警官のことで、冒頭場面だけ。あとは、出てこない・・・。こんな小さなことではなくもっと大きなことが問題として横たわる「スーパーポリス」だから、もういまさらタイトルのことにとやかく言うことは止そうかと思ったが、やはり詐欺丸出しだ。映画「ビバリーヒルズ・コップ」はアメリカでは1984年12月公開で、日本では遅れて1985年4月27日公開となった。この第5話は5月11日放送で、まさに虎の威を借るなんとか。とにかく節操がないことこの上なし。


小さなことはそれとして、大きなこととは、「スーパーポリス」は何をやっても“的外れ”な作品になっていることだ。


アクション、コメディ、「キイハンター」の夢よもう一度!、すべてがむなしく空回りしている。前年に「西部警察」シリーズ、翌年に「太陽にほえろ!」、翌々年に「特捜最前線」と、老舗の刑事ドラマがどんどん暖簾下ろしていく中での過渡期な作品だけに、新しい方向性のものを作るのは難しかったかもしれない。でも、アメリカでは今回のタイトルを頂いた映画『ビバリーヒルズ・コップ』、テレビドラマ『マイアミ・バイス』が流行っているのは、もう日本では知られていた頃。どうせやるのならば、そこらへん丸ごとパクってきてやればよかったのにと観ていて思う。


近藤照男プロデューサー的には、長年の経験、そしてヒット作品を何作も作ってきたから「コメディからシリアスなものまでなんでも作れるぞ!」と自負していたかもしれない。いや、絶対そうだ。しかし、軽薄短小な1985年に何が求められているのか、なんていうのをまったく無視している。


さて、相変わらずアメリカロケなど全くしていないのに、「日本語で書かれている看板や標識を映さない」、「外人のエキストラ歩かせてアメ車映す」、「逗子マリーナでロケする」で、アメリカを表現しているつもりだから悲しい。細かい演出にもアメリカが過剰に出てくる。


三浦友和の回想シーンに出てくる(偽)ロスアンゼルスで、ジョニー大倉との出会い。ポン引きの縄張り争いで、ジョニー大倉がウィリー・ドーシーとアレックス・イーズリーの豪華黒人俳優コンビにタコ殴りにされているところに出くわし、「まともな仕事に就けよ!、何かあったら相談に来い」と世話焼いて名刺を渡す。しかし、ジョニー大倉はそんなものに見向きもせずに煙草を一服しようとしたが、タコ殴りされた際に落としてしまったかライターが見つからず、三浦から借り受ける。そこでジョニーが「どうりで・・・」と助けてくれた三浦の素性を知る。三浦が差し出したのは、「POLICE ACADEMY LOS ANGELS POLICE」と刻印された京都の嵐山のお土産物屋で修学旅行生相手に売っているようなもの。仮にも当時煙草のCMのイメージキャラクターをやっているような格好良いはずの俳優が劇中とはいえ持ち歩くものではない。


「おい、行くぞ!」と号令が掛かって、吸っていた煙草を道端に投げ捨てたり、下に落として靴底を廻しながら踏みつけて火消したりするお約束のシーン。死に際にやっとの思いでたばこをフカして、それに満足して眠るように死んでいく名シーン。古今東西、ありとあらゆる刑事ドラマにおけるたばこのシーンで、これほどダサいものがあっただろうか。


とにかく「スーパーポリス」はどうしようもない。