6月からファミ劇で『スーパーポリス』が観られるとあって浮かれている茶屋町デス。


80年代半ば、アクション&刑事ドラマは、1980年前後あれほどあったというのに激減していた。これは軽薄短小の時代に入っていたのが大きいかと思う。80年代の代表的なテレビ番組と言えば、『笑っていいとも!』、『オレたちひょうきん族』、『なるほど・ザ・ワールド』などのバラエティ番組で占められる。どれもフジテレビばかりだ(そのフジテレビでは、この手のドラマを一切切り捨てていき、1989年にショーケン&ナンノの『あいつがトラブル』の際は9年ぶりの刑事ドラマだったとか)。


しかし、『スーパーポリス』が放送された1985年4月期、一時的にではあるが、それが増えていく。



1985年4月期のテレビにおけるアクション&刑事ドラマ一覧

月曜日 なし
火曜日 なし
水曜日 テレ朝「特捜最前線」
木曜日 なし
金曜日 日テレ「太陽にほえろ!」、●テレ朝「特命刑事 ザ・コップ」
土曜日 ●TBS「スーパーポリス」
日曜日 テレ朝「私鉄沿線97分署」、●日テレ「刑事物語'85」


●印は1985年4月からの新番組で、その●印の3本の新番組ついて語っていきたい。


TBS『スーパーポリス』は土曜夜9時からのもので、これはかつての『キイハンター』や『Gメン'75』を作ったスタッフによる制作で、荒唐無稽かつスラップスティックな展開。上述した軽薄短小の時代に適応してたはずなのに、残念ながらヒットはしなかった。


1985年、まさに『オレたちひょうきん族』が全盛の時代、当時の邦画制作関係者はこう漏らした。「いまコメディ映画なんか作らない方が良い。なぜなら“ひょうきん族”のほうが面白いし、ネタからして新しいから」。土曜夜8時からの『オレたちひょうきん族』を観た直後、それより劣る“笑い”なんて、はっきり言っていらなかったのだ。なので、テレビ映画である『スーパーポリス』は時間帯さえズレていたが、時代に適応しようとして逆に『オレたちひょうきん族』に飲み込まれたカタチになってしまった。


日テレ『刑事物語'85』は主演に渡瀬恒彦を起用したものの、かつてのマッドポリス路線ではなく、人情路線で展開。10年ほど前にCSで視聴する機会があったが、あまりに地味すぎて面白くなかった。が、この新規に起こした日曜9時の刑事物路線は、後番組で引き継いだ中村雅俊&根津甚八の『誇りの報酬』でようやく実が結ばれ、それを下地にした『あぶない刑事』が大ヒットしていく。


そして、『特命刑事 ザ・コップ』。内容はウィキペディアに詳しく書かれてあるので、そっちを参照にして欲しいが、簡単に示せば、金曜夜9時枠らしく、『必殺』シリーズや『ハングマン』シリーズの亜流で、主人公たちが絶体絶命に陥ったり、危険な領域に踏み込みすぎたりするものの、最後は悪を一撃で倒すという痛快なカタルシスもの。しかし、アクション&刑事ドラマなのにフィルムではなく、当時としてはビデオ撮影でしていたのが珍しく、ほとんどの人にとってはこのことが一番に印象に残っているのかもしれない。


じつはこの作品、前年の1984年中にすべて制作が終わっていた(撮影は初夏に入る頃から行われていた模様)。テレ朝の金曜夜9時からのドラマ枠は1984年9月から翌1985年4月までの2クールはこの枠の看板番組の「ザ・ハングマン4」を優先させたのと、もうひとつは主演の藤竜也のスケジュールにあった。『特命刑事 ザ・コップ』放送前の1985年1月期からの1クールはTBS金曜ドラマで『許せない結婚』に主演し、それが終わったら主演映画『友よ、静かに瞑れ』の撮影と、立て込んでいたからだ。


動画サイトでは、現在二つの映像が見られる。ひとつはオープニング映像で、もうひとつはBOOWYのボーカル、氷室京介(当時は氷室狂介)がチョイ役で出ている場面。


関東地方では、もともとテレ朝夜9時からの朝日放送制作のドラマは再放送にあまり掛からないから、本放送時以降は観た覚えがない。それに、制作はテレキャストという会社なのだが、現在その会社はないので、どこに版権やマスターテープが移行したのかもわからない。ただ、2000年代に入り、岡山県と香川県をカバーするテレビせとうちで放送されたという情報がある。だから、希望はあることにはある。


うーん、観たい!、観たい!