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結婚生活7年=不妊歴

強烈な劣等感からいつも人と比べてばかりで、子供さえ出来れば幸せになれるのに!と信じて疑わなかった私が
「美人になる❤️子宮温活」を始めて分かった
「子供がいなくても今すぐ心から安心して幸せになる方法
」

」「パートナーとうまくいく方法
」を
」を実践、実験、お伝えしています



今年の4月からは
お休みしていた不妊治療を再開しました

ブログテーマ「不妊治療再開」からどうぞ

子供の頃、肥満児だった私は小学四年生で生理が始まるほど成熟が早くて
それに伴って胸が膨らみ始めるのも早かった。
3つ上の兄も思春期で女の体に興味を持ち始める時期だったんだろう。
出っ張ってくる胸を度々からかわれ、まじまじ見られるのが嫌だった。
それでもまだ子供だったから、お兄ちゃんが好きな部分もあり、
ある日、遠方から遊びに来ていた祖母が帰った夜、私は寂しくて寂しくて隣の部屋で寝ていた兄に泣きつき、一緒に寝ることにした。
最初は安心してスヤスヤ寝ていた私だったけど、何か下半身に違和感を覚えてハッと目を覚ました。
すると、兄の手が私の股間をまさぐっている。
私はびっくりして、慌てて布団を飛び出し、1人で寝る!と自分の部屋に帰っていった。
次の日母に昨日の夜の出来事を話し、兄に注意をしてもらった。
でも一言、二言、諭した程度で、じっくり話をしていたという記憶はない。
ショックを受けている私は、母が兄をとことん責めてくれるだろうという期待をアッサリ裏切られ、
もう終わり?
もっとお兄ちゃんを責めてよ!
私本当に嫌だったんだよ!傷ついたんだよ!
小学生なりに一生懸命主張したように思う。
それを最初は静かに聞いていた母も、あまりの私のしつこさに嫌気がさしたのか、
もう!うるさいな!
ちゃんと怒ったでしょ!
なんでそんなにしつこいの!
と、今度は逆に私が怒られるハメになった。
わからない。
自分が何をされたのかはわからない。
子供だったから下半身を触られる事の意味はあまりちゃんと理解してなかったかもしれない。
でも、何か不穏な空気、気持ち、モヤモヤした本当に不快な思いだった事は覚えてる。
いつも兄にイジメられて嫌だったけど、それとは違う、今回ばかりは、本当に真剣に、
母に助けてほしいやつだった。
それと同時期に、
近所の駄菓子屋でも痴漢にあった。
一緒にいた友達が、
何やらお店のおじさんとコソコソ話していて、
「〇〇ここに座ってて。」と言われ、私は素直にレジ横の狭いスペースに座った。
すると、その狭いスペースに店のおじさんが無理矢理私に体を密着させて座ってきた。
え?と思ったのも束の間、おじさんは
可愛いねぇと言いながら、
膨らみかけた私の乳房をまじまじと見ながら、胸を揉んだり乳首を触ったりしてきたのである。
怖い、、、
怖くて声も出ない、、、
目で友達を探したけど、薄暗い店には私とおじさんの2人だけだった。
私は当時流行っていたクレヨンしんちゃんのTシャツを着ていた。
それくらいまだ子供だったのだ。
でも胸だけはデカかった。
今思えば、ノーブラだから乳首も透けていたと思う。
そんな格好をさせていた母を心底呪った。
母は私のことなんか何にも見てくれてない。
膨らみかけてる胸も、
それを他人がどういう目で見るのかも。
恐怖に怯えながらも、母に対する恨みを感じていたように思う。
ちょっとだけおじさんの手が離れた隙に、私は一目散に逃げた。
脇目もふらず、一心不乱に走って家まで帰った。
その時、母が居たか居なかったかはもう忘れた。
でも、母に話す、相談する、という選択肢は
私の中にはもう1ミリもなかった。
同級生にスカートめくりをされたこと
書道教室の帰り道に知らないおじさんに声をかけられ怖くて必死で逃げたこと
中学生の頃は、文通相手(時代だねぇー)と初めて会うことになり待ち合わせ場所に行くと知らないおじさんが立っていて、、、(おじさんはもういいよ
)
)〇〇の叔父です。
〇〇は今部活の試合中だから一緒に行こう!
と言われ、体育館に行くも本人には会えず、
家で待とう!と言われついて行ったアパートはどう見てもおじさんの一人暮らしで、
あーこれはヤバイ!と思ったら案の定コタツの中で手を握られて、、、
内心バクバクしながらも、ここで騒いだら犯される!と思い、知らん顔でペラペラ世間話を続けたらおじさんもようやく諦めて解放してくれた。
帰ってから怖くて悔しくて気持ち悪くて沢山泣いた。
20歳でホストに騙され、
恋愛は長続きせず、
ダメンズに当たってばかり、
男にフラれた腹いせに夜の世界で働き、
お客さんにはストーカーされ、
旅先で知り合った男には同意もないままヤラれちゃって、
私、女である自分に心底嫌気がさしたんだった。
女だからこんなに嫌な思いをする、という思い込みを握りしめることによって、自分を納得させている部分もあった。
でも遡ってみると、
母親に女である自分を受け入れてもらえなかったこと。
それが出発点であり、私にとっては一番辛いことだったのだ。
もっとわかって欲しかった。
生理になった時に助けて欲しかった。
ちゃんと説明して欲しかった。
ブラを買って欲しかった。
生まれた日の話をして欲しかった。
子供が産まれたから
好きな事が出来ない、お腹が出た、出産が辛かった、
その話しか聞いてこなかった。
お兄ちゃんの野球には喜んでついていくくせに、私のままごとではいつも寝ていた。
話が長いと怒られた。
しつこいと怒られた。
夢見がちな私の空想の話なんか意味がないと呆れられた。
フリフリは嫌いだと言われた。
ピンクは嫌いだと言われた。
キラキラも嫌いだと言われた。
私はスポーティーでボーイッシュなのが好きだと言われた。
私、男だったらもっと愛されたの?
母の期待に応えようと必死で男らしくしたり、母の得意な趣味を自分も勉強したり。好きなものは隠した。
体の悩みも相談出来なかった。
女である自分は
母に嫌われる恥ずかしい存在なんだと感じていたんですね。
ずっと長い間、女である自分を否定し続けてきて、
逆に母への反発心から恋愛、セックス依存になって誰かを求め続けたり、ホステスという女を武器にする職についたり。
男らしくも女らしくも
全ては母という存在をどこかで感じながら選んできたものだったということ。
私が子宮温活を始めて他人軸から自分軸で物事を考えるようになった時、
初めて、
母と私の好みは違う。
ただそれだけなのかもしれないとようやく気がつけた。
憎む気持ちはまだ消化できないし、それでも愛されていたんだ、、、みたいな気づきはありません。
そう思い込もうとした事もあったけどやめました。
だから未だに母を恨んでいるし、苦手だけど、
母と私は違っていて当然。
違っていい。
私は女でいいんだ。私は私のままでいい。
って思ってる。
子宮温活は自分の女性性と向き合うことが第1歩だから
布ナプキンを使いながら、自分の股のケアをせっせとやっていると
自分の体が女性であることを100%肯定せざるを得なくなる。
肯定出来たから温活を始められたわけじゃなくて、
温め始めて、自分に手をかけてやることで自分は女性なんだ、そこを偽るも嫌うも嘆くもないなぁ、とようやく納得出来たんだ。
(そう。子供が出来ようが不妊だろうがね。私は私。女は女だ。)
母にして欲しかったこと
過去の男達にして欲しかったこと
それを自分にあますことなく全てしてあげること。
それが究極かつ
基本の子宮温活なんだと私は考えています。
