3月も残すところ2日。いよいよ新年度が始まりますね。

これから社会人になる方へお伝えしたいのは、「1年目の時に厳しく叱ってもらう経験は大切である」ということ。

 

何故こんなことを言うのか?

答えはシンプルです。2年目以降は、社会人の基礎(ビジネスマナーや言葉遣い)で注意される頻度が激減するからです。

厳しく注意されると一瞬落ち込むかもしれません。でも、それは「ダメな所は早く直さないと、数年後に周りの助けを得られなくなるぞ」という先輩方からのメッセージなのです。

※勿論、感情的に怒鳴ってくる人や、やたらマウントを取ってくる人は相手にしてはいけません。笑

 

私は以前の上司からこう言われました。

「資格やスキルは勿論大切だが、最後は人だ。結局、人は人と仕事をするわけだからね。」

 

31歳になった今、少しずつこの言葉の意味が分かってきました。

周りからの注意を無視し、いつも偉そうな態度を取ってきた人は、残念ながら淘汰されます。

複数社を経験し、実際にその現場を見てきました。

 

4月1日から私も新天地で働き始めるので、周りから注意される場面も出てくるでしょう。

でも、それは自分が新天地で新たなスキルや経験を積むために必要不可欠なことだと考えます。

目の前のことを一つずつ一生懸命にやるのみです。塵も積もれば山となる、ですね。

 

新社会人になる皆様にも、新天地で良い出会いがありますように。

 

 

お前は偽善者で良い子ちゃん。

 

過去に、これらの台詞を言われたことが多くありました。

恐らく、自分が方言や身体的特徴で傷ついた経験が多かったので、自分が話す時は言葉選びに慎重になっていたからなのだと思います。そして、丁寧な言葉遣いや、相手の立場を考慮した言い回しを意識している姿勢は、周りから見ると「ただの良い子ちゃん」だったのでしょう。

良い子ちゃん=世間知らず、みたいに扱われるのが嫌で、子供の頃はこの台詞を言われるたびに心がざわつきました。

 

しかし、大人になってから思います。

相手を傷つけないことがどれだけ大切か。それは家族間でも友人関係でも職場でも。

穏やかな口調で、でも、説得力を持って自己主張する方法があるのだと、社会人になってから強く感じるのです。

単に感情的に強く意見を言い合えば喧嘩ですが、穏やかに建設的に話し合えば意見交換になるわけです。

 

周りからも繊細過ぎ!と言われる自分だからこそ、その塩梅が自然と分かっている気はします。

全国の繊細さんはどう思いますか?

 

 

1年ぶりの更新です。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

新年度を間近に控え、進学や就職でドキドキしている方も多いのではないでしょうか。

 

さて、私は昨年11月にニュージーランドでのワーキングホリデーを終えました。

その後はアルバイトと転職活動を並行し、4月から新天地でフルタイム勤務を始めます。

 

日本では、ワーホリに対する世間の印象はまだまだ良くないのが現実です。

全額自費、日本での肩書は通用しない、伝手も無い、日系企業からは単なるブランクとみなされる可能性もあるワーホリ。それでも、行く価値は十分にありました。

だからといって、全員にワーホリを勧めているわけではないです。

 

もしワーホリに興味をお持ちでしたら、まずは動機と懸念点をノートに書き出し、悩み切ることをお勧めします。悩んだ上で行かない、という選択も大いにありだと思います。

私は結果的にワーホリに挑戦することを決意しましたが、渡航後も悩みは尽きませんでしたし、帰国後の無職期間も恐怖でした。

しかし、悩めば悩むほど、これまで気づかなかった自分の個性や適性が段々と分かってくるものです。

 

4月から自分がどうなっていくのかは未知ですが、まずは目の前のことを一つずつ誠意を持って取り組むのみです。

 

ニュージーランドの南島を訪れた際に撮った写真です。

 

 

 

お前は繊細過ぎる!

 

この台詞を言われると傷つきますよね。自分の個性なのに。

そして、そもそも繊細の定義とは何なのか?

辞書では以下のように説明されています。

  1. ほそく小さいこと。 ほっそりとして優美なこと。 また、そのさま。
  2. 感情などがこまやかなこと。

悪い意味合いは無いのです、繊細という言葉に。寧ろ繊細でないとできない仕事、人間関係は沢山あると思います。

 

叱られて落ち込みやすいのは、内省しようとしている証拠。

些細なことでも心配になるのは、あらゆるリスクが瞬時に頭に浮かんでいる証拠。

 

一つ一つの言葉や出来事を他者よりも掘り下げて考えられるのが、繊細君の強みです。

繊細だから人の信頼を得られた、繊細だから色んな人が声を掛けてくれる、そんな感情を抱ける場面が何度もあります。特に社会人になってからは。

 

もし周りに繊細な友人がいらっしゃる方は、「こいつ本当に繊細過ぎるな」ではなく「この人はどんなことを考えているんだろう?」と興味を持ってみてください。きっと面白い視点を持っているはずです。

人と群れてワイワイするタイプでもなく、かといって何日も独りでいると心配事ばかり頭に浮かんできてしまう、自分。

繊細なのに好奇心旺盛な私は一体どんなオーラを纏っているのか分かりませんが、人から道を聞かれることがよくあります。

現在はワーホリでニュージーランドに住んでいますが、日本に居た時も様々な国籍の方から声を掛けられていました。

勿論、怪しい人かどうかの判別を自分でする必要はありますが、「話しかけられやすい」というのは長所の一つと感じます。

繊細であるが故なのか、立ち居振る舞いが穏やかに見えるのかもしれませんね。

 

学生時代は、「男なのに威厳が無い」と部活仲間や顧問からよく言われ、傷ついていました。

 

でも最近思うのです。

本当にいつも威厳が必要なのでしょうか?

話かけられやすい、穏やかなオーラを持っているのも立派な魅力ではないでしょうか?

 

最近、私は「繊細さ」に誇りを持って生きています。

全国の繊細さん、どうですか?

綺麗な海で心をリフレッシュしたい!

そんな時は、宮古島を訪れてみてください。

私は以前、11月に1泊2日で行きました。

 

透き通った水で作られる、鮮やかな青のグラデーションは何時間見ても飽きないでしょう。

公共交通機関はほとんどありませんが、自転車を漕げれば島のほとんどの場所にはアクセスできます。

 

特にお勧めなのは、伊良部大橋です。

全長が約3.5kmあり、急勾配なので、自転車で渡るのはかなり大変ですが、それに見合う (もしくはそれ以上の) 景色を堪能でき

ます。遠くまで広がる海の上に自分が立っているような感覚を味わえます。

 

 

 

伊良部島側から見る伊良部大橋もまた良いものです。綺麗な花も咲いていました。

 

 

シュノーケリングをすれば、様々な生き物に出会えます。

 

 

なぜ、ブログを書くのか?

  • 自分の考えを多くの人に知ってもらうため?
  • ブログを通して新しい友達を作るため?
  • 文章の作成能力を上げるため?

皆様、大なり小なり様々な目的でブログを更新しているでしょう。

因みに、私がブログを更新する理由は、内省する習慣をつけることと、今の課題を「見える化」するためです。

日々、仕事や勉強に追われていると、その場しのぎで乗り越える場面があるのは致し方ないと思います。

一方、振り返りの時間を持たないと、その仕事や勉強を一生懸命続けている理由が不明瞭になっていくと考えます。

 

分かりやすいのが英語の勉強です。

  • なぜ英語を勉強する必要があるのか?
  • どのレベルまで到達する必要があるのか?(日常会話?ビジネスレベル?翻訳?通訳?)

実は、今ワーキングホリデーで海外に渡航中です。

学生時代に留学経験は無いため、これが初めての海外長期滞在です。

英語のブログを日々更新しており、日常の出来事は勿論、仕事を通じて感じる葛藤なども全て記しています。

1日5分でも良いので、内省する時間を確保すると、翌日に意識すべきことが明確になります。そういった意味で、ブログを書くのは意義のなる取り組みだと感じるところです。

 

 

 

 

 

30歳を迎えたからなのか、単純な心境の変化なのか、最近物事を客観的、且つ冷静に見れる時間が増えました。

これまでなら、他の人が少しでも不誠実な言動をすれば、毎回嫌な気持ちになっていました。

繊細であるが故に、不誠実なことは直ぐに気付きますしね・・・

 

しかし、最近は、「他人をコントロールすることはできない。コントロールできるのは自分だけ。」と純粋に思えています。

例えば、過去に大変だったことや、今悩んでいることを皆で共有している時に、「自分は過去にもっと大変なことを乗り越えたから、ちょっとやそっとのことじゃ折れないですね。」と言ってしまう方が一人いました。

これまでなら、「なぜ他人の相談は話に自分の話を被せるの?失礼じゃないか?」という怒りの感情を持ってしまいましたが、最近は「この人は未だ知らないことが多いんだな」と自然に思えるようになりました。言い換えれば、期待し過ぎない、ということです。

 

自分の中では最も大きな進歩です。物事の細部まで気付ける繊細さに加えて、他人の言動に影響されないマインドがあれば、自分は最強なのでは?と思えるからです。年齢を重ねることは良い面もあるのだなと感じるところです。

とはいえ、20代のマインドを持ちながら、様々な面で学び続けることに変わりありません。

 

久々の投稿でした!

また、これまでの「繊細君が思うことシリーズ」で一部通し番号を振り直した記事がございます。ご容赦くださいませ。

 

不登校に対してどのような印象をお持ちですか。

部活や習い事を辞めることは悪いことですか。

先生の意図に沿えないとダメな学生ですか。

 

昨今変わりつつある教育業界にも、まだ悪しき慣習が根強く残っていると感じます。

部活中の過度な指導が学生を精神的に追い詰めているニュースを見る度、悲しくなります。

 

私は教師でも学校職員でもありません。

ただ、学生時代に悩み続けていた者の一人です。

 

私は高校時代にラグビー部に所属していました。

スポーツ推薦も無い、普通の公立高校でしたが、私が入部する数年前まで地方大会 (各都道府県大会の上位校のみが出場できる大会) に出場するような強豪校でした。

そのため、顧問の先生は、強かった時代の指導を踏襲していました。

怪我をすれば責められ、チームの方針を即座に理解できなければ全員の前で怒鳴られ、先生の意図に合わないプレーをすれば根性練習をさせられる環境でした。

 

ただでさえ、人の言うことを真に受けてしまう私は、先生から怒鳴られるだけでなく、同期や後輩からも揶揄されることが多かったため、早く引退したいと思う毎日でした。

なぜ3年間耐えられたのかは分かりません。

偶々、自分の身体と精神が偶々持ちこたえられただけだと思います。

 

これを読んでくださっている方にお伝えしたいのは、「生きるための逃げなら有り」ということです。

高校や大学といった数年間だけで、どうか自己否定をしないでください。

いつも頑張っている人は、少しくらい休憩したっていいのです。

 

「そんなんじゃ、社会に出てやっていけないぞ」と言う方もいるでしょう。

でも安心してください。社会に出れば、もっと多くの価値観に触れられます。

社会は理不尽なだけではありません。良い出会いも沢山あります。

 

この記事を見て、救われる人がいれば幸いです。

 

 

 

いざという時に助けてもらえる

苦しい時に声を掛けてもらえる

周りから有益な情報を提供してもらえる

 

これらに当てはまる人は、きっと日頃から周りからの信頼を得ているのでしょう。

仕事とプライベートのどちらにおいても、とても大切な要素だと思います。

 

ありきたりな言葉かもしれませんが、人間は1人では生きていけません。

1人でやれていると思う人も、必ず誰かしらのサポートを受けて成り立っているのです。

特に仕事の場面では、それが顕著にみられると思います。

 

私も30歳を目前とし、年下の同僚はどんどん増えています。

年上である自分の方が物事を知っている、という思い込みをする人がいますが、これは大きな間違いです。

年下の方が知っていること、できることも数多くありますので、年上の人こそ学ぶ姿勢を持つべきなのです。

 

周りを見ていても思いますが、やはり謙虚なベテランの方ほど、周囲の信頼を得ています。

 

いつまでも謙虚にいることは簡単そうで、実は一番難しいのかもしれませんね。

皆様はどうお考えですか。