誰にも愛されない人間と誰でも愛せる人間 | ゴリラ拓人のブログ

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尾崎豊、ブルーハーツ、亜無亜危異、ピストルズ、クラッシュ、なんかが好きです。
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もよろしく

(ただし、愛の定義は兄弟愛や異性愛とする)
果たして、存在しえないのはどちらでしょうか



誰にも解けない問題を作るのとそれを解くのはどちらの方が難しいか?(ただし、解は存在する)
容疑者Xの献身ですね。
作問に関しては、答えは出ませんでした。
だって、湯川に解けちゃったからね。




さぁ、このブログのタイトルの問いに関してはいかがでしょうか。


まず、「誰でも愛せる」事を考えましょう。
この人には、愛せない相手はいないのです。
どんな悪人でも、詐欺師でも、クソ野郎でも、彼は愛することができます(愛するとは、フロム曰く相手の成長を願えること、と定義します)。
彼は嫌いな人間も愛せます。敵をも愛せます。
そう、まるでイエスキリストのような(僕は無宗派なので、神イエスでなく人間イエスと捉えます)人間です。
彼は誰にも愛されない人間でさえ愛することができます。
彼は愛に溢れています。
愛こそ全てだと信じて誰でも愛し続けます。


では、「誰にも愛されない」事を考えましょう。
と、ここで、問題が。
自分を「誰」に含めるか否か、で答えは変わりましょう。
取り敢えず含めないで定義(自己愛(≒ナルシシズム)は認める)すると。
他者から愛されない人間は、存在しえます。
どんな人間にも嫌われ、愛されないのです。
彼には親兄弟もいるかもしれませんが、親兄弟からは絶縁される程煙たがれ、愛を受けなかったとします。
異性愛もありません。
皆んなに嫌われます。嫌われ、愛されません。
現実的かどうかは置いておいて、そんな人間がいるとします。
しかし、彼は自己を愛しています。自己以外の他者は軽蔑侮蔑しております。それでも、自己は大好きです。
先ほどの定義で、自己愛は認めていますので、ね。
さて、そんな彼を愛せる人間はいません。
誰にも愛されない人間は誰でも愛せる人間でさえ愛せません。
そうです、彼は孤独です。
愛に飢えています。
まあ、学校教育なら、そんな彼でも誰かにきっと愛されていると答えられるけど、んなしょーもない解答は要らない。
まあ、一旦置いておこう。


では、自己愛は認めない、「誰にも愛されない人間」の場合は、自己を嫌悪しており、彼は本当の意味で誰にも愛されないのです。自分にさえ愛されない。
彼は愛されないことを苦しく思っているのかどうかは置いておいて、彼を(彼自身を)愛する人はいません。
先ほどと同様に、誰でも愛せる人間でさえ、誰にも愛されない人間を愛せません。
そうです、彼は愛されないのです。


さーて、此処まで書いて気付いた方はいるかな?
僕は書いてるうちに気付いた。苦笑

愛する事は誰にでもできる。
彼女を彼を父を母を愛する事は簡単です。
でも、その愛を感じ取れる感性は、その人の心持ちによりけり。
誰にも愛されない人間は、誰かに愛されてもそれに気付けない人間なんだ。
誰でも愛せる人間は、必死で愛す。
でも、誰にも愛されない人間は愛されていないと思い込む。嫌われていると思い込む。

そう、存在しえないのは、誰にも愛されない人間。
『きっと誰かは君のこと愛してくれるよ』
なんてチンケな公務員教諭の言うようなしょーもない言葉ではなく。
『君は鈍感だ。こんなに君を愛してくれる人間がいるのに、何故愛されていることに気付かず、愛されていないと嘆くのだ』
これが正解。



まあ僕自身も愛されていることに気付かない事はある。
だからこそ、鈍感な僕だからこそ、誰かに愛される事を待つ前に、誰かを愛する事から始めていこうと思うんです。
誰かを愛する事ができるのは、人間だけの特権です。
愛される事を気付けなくとも、自分が愛する事さえできたら良いのです。


愛し愛され、笑い笑われ、怒り怒られ、そんな恋人なり友人なりを大切にして生きたいんです。


ではでは、気持ち悪さマックスのまま、ASPのID忘れてログインできない僕ですが、愛を覚えていきますね。


あれやね、図書館で哲学書読み漁ると気持ち悪くなる。
愛の定義がおかしい、愛することと愛されることの定義がおかしい、とかのご意見は論理学の専門家様々、目瞑ってくだしゃいwwwww