ある人は、子供さんが2人も居ながら
何かのセミナー?を受けてからというもの、
無駄なものを剥いでいく かなんか言い始めて
都合よく家族を捨て、仕事仲間も切り、その頃から親しくしていたバツイチの女性とくっつき
反発していたはずの親の敷いてくれていたレールに軌道修正。
「今まで無駄なものに気を使っていた」
「自分らしくない人生を歩んでいた」
そんな言葉を並べては、自分の過去を“過ち”と括って、今を正当化している。
あなたが過ちと言うその過去に、あなた自身が責任を負わなくてはならないはずの人生があるのに、その責任を一方的に反故にして生きている。
今は、その時の彼女が同じ”過ち”の中で生んだ命と、自分の子ではないと言う気持ちを持ちながら暮らしている事に苦悩しているそうだけれど、
残してきた子供達のそれに比べれば簡単な悩みだ。
一生会えないと言うけれど、会わない の間違いでしょ?面会をしなくて良いからと養育費から逃げたのだから。
「彼女の連れ子を養育する俺」みたいな事を平然とブログに綴っているけれど、今の子供さんの気持ちも考えられないのね。
若気の至りで女性を2度も孕ませ、そこから(自分らしく生きる)ためという名目で逃げてきた。
あなたの自分らしさとは、身勝手に生きるということなの?
そんな事を思うと、いつも静かで人に気を使うその子供さんが不憫に思えてくる。
まだ中学生なのに…。
母親も気を使ってなのか、子供さんたちに冷たい気がする。だからなのかその子供さんは、他のお母さんが子供に優しくしている姿をジッと見る癖が付いている。
小学校に上がる頃から、こんな風に親に気を使って生きてきたんだね。
どちらの子供さんたちも幸せになれますように。
責任を自分のものとして背負う覚悟のできる大人になれますように。