或る大きな団体が立ち上がった。設立の噂は聞いていたのだが、ついに設立され、さっそく活動を開始している。全国にあった組織をひとつにして連帯するというのだ。
さっそく活動が始まる。この団体は友好と権利確立を目的にしているのだが、権利確立の方で動いた。
それは短期的には素晴らしいことなのかもしれないが、終わりの始まりとみている。今年は節目の年。成果を出さねばならない。そのためには組織を大きくしてみましたというのは実にわかりやすい成果だ。
もう10年以上前になる。ぼくもある地方の組織に関わったことがある。顔ぶれはまさに多士済々だった。宗教関係者、大学教授、民族派、オタク、バックパッカーがいた。呉越同舟というような一行が100人近く集まり海を渡った。
そのうちまず勉強会がなくなった。大学の先生も、異端とされる人たちがどんどんいなくなっていった。気がつくと、みんな似たような立場と主張をする人ばかりになっていた。
ある年の総会がひどかった。余りに思想的に偏りが過ぎる人が壇上に立った。今も根強い問題になっている二国間の問題に関わっている、日本側の訴えを黙殺した立場の人間だった。相手国べったりもべったり、ベトベトなスピーチをやらかした。副会長にこの人を登壇させた真意を問うたが、まあまあ落ち着いてというだけで、以降ぼくはその団体とは距離をとった。
いわゆる運動にはかかわらないという姿勢をぼくはとっている。その後その団体からお知らせが来るのは年会費のお知らせと総会のお知らせ。年会費を払っていないのに、総会への委任をしますか?という手紙が来ていて、意味が分からないので黙殺した。
ぼくや民族派の友人もいつしか連絡先から消された。つまりは静かに排斥されたらしい。
結局のところ、ひとつの意見や立場に対し是という人しか残さず、それ以外の意見を持つ人は静かに排斥していくのだ。あいつらは異端だからね。うるさいからね。無知蒙昧だからね。追い出してやったんだというわけだ。
その団体も高齢化が進む。ただでさえ若者が少ないうえに、問題意識を持ち、世間的には少数派といえる立場を表明する人なんて少ないし、年寄りばかりだ。
なぜ間口を広げる努力をしないのだろう。問題Aに関しては賛成するが、問題Bについては保留。あるいは反対の立場だ。そういう人たちも巻き込んで、そもそも関心を持たれることが珍しいのだから、是々非々で加わっていくことをなぜしないのだろう。
数的には少数者の集まりだ。まず選挙で与党とはなりえない。正直マジョリティとはなり得ない人たちだ。マイノリティが固まって「数が多ければいいのか。少数者のことは無視していいのか」と主張しながらも、自分たちがやっているのはその組織の中では少数者、異端者の排斥ではないか。
「俺たちは本当のことを知っている数少ないエリートだからね」という選民意識に酔いながらずぶずぶと沈んでいくのだろう。ゆっくりと。