安倍総理の喪失について | 38度線の北側でのできごと

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 2016年に自民党の地方議員さんの引率をした際、北側の担当者と見学地交渉をした。朝鮮総聯の支部が希望として出し、それに従い北側が出してきた見学地はどこも古く、余りに平凡で魅力的ではなかったのでがんがん交渉し変更を迫った。

 

「ここは絶対見せて欲しい」と強く迫り、あるいは「今回の訪朝団は与党だぞ。ここで頑張らないでどうするの。共和国のいいとこ見て帰ってもらわないと」と逆に励ましてみたりもした。

 

 北の担当者は議員さんに「こいつを黙らせろ」とちらちらとサインを送っていたけど、議員さんは見て見ぬふりをしてくれた。全権委任してくれたことにぼくは発奮して強気に押しまくり、滞在最後の夜には「あなたはタフネゴシエーターだよ」と北の担当者は疲れと呆れが混ざった顔をしていた。

 

 帰国後その時議員さんが撮った北朝鮮の写真(あれを撮りましょう、これもいいですよと口出しもした)と、ぼくの報告書を基にした資料は官邸にまで行ったらしい。安倍総理も見てくれたよと議員さんから聞いた。

 

 安倍元総理というと思い出すのはそのこと。オタク冥利に尽きる最高の仕事が出来たと自負している。
 

 今もその議員さんとのお付き合いはしっかり続いていて、東京に来た際、ぼくが関西方面に仕事に行った際には必ず会う。


 平壌で出会ったアメリカ人の友人から今回の安倍元総理の件で英語のメールが来た。安倍氏の死去が選挙に大きな影響を与える可能性と、安倍氏は総理在任中に訪朝することはなかったけど、もしかすると貴国のジミー・カーター元大統領のような存在になっていたかも知れないねと書いたのは、少しほめ過ぎだったのかも知れない。

 

 反自民(ハン・ジミンという韓国人の女優がいますね)とまではいわないまでも、ぼくはその時まで自民党が好きではなかった。いわゆる民主党系の候補者に投票していた。

 

 この時以来、ぼくは与党支持になった。民主党系の議員の余りの無礼ぶりに呆れたこともある。結局安倍総理は訪朝せず、拉致問題も進まなかった。この点については大いに反省を促したい。無条件で会うということばは何だったのか。時間だけが過ぎてしまったではないか。

 

 その不満、批判も生きていればこそ届く。ああいう結末はない。喪失感を正直感じている。