卒業式シーズンですね | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 通勤途中に羽織袴の女性の姿を見て、ああ卒業式シーズンだと思ったら靖国神社で桜が咲いていた。

 

 今年卒業する高校生や大学生は散々と聞く。コロナで学校行事がなくなって、文化祭体育祭修学旅行もなかったという人がいる。合わせて卒業式まで危うかったというから大変だ。

 

 代わってあげられるなら代わってあげたい。いや、本気で。

 

 修学旅行の積立金も返って来るし、文化祭なんて面白くなかったし、体育祭なんて午前中の予選で落ちてずーっと暇だった。クラスで一体になるなんてなかったし。修学旅行よりも自分プロデュースのひとり旅の方が面白かった。

 

 学校施設が使えないことと、交流できない部分に関して授業料を割り引くのは賛成。大学の職員さんに聞くと、コロナ対策で改築工事やネット回線補強、パーティションを充実するため相当お金を使ったので授業料減額は厳しいと言っていたけれど。

 

 コロナ蔓延で問われたことは色々あったが、ひとつは”あてにならない”だと思う。それは国もそうだし、コロナ対策もそうだし、会社も学校も大人も。寄らば大樹という時代はもう来ない。何となく学校に行っていれば、何となくイベントがあり、何となく楽しい時間を過ごすことが出来た。

 

 それはもう無理って話。

 

 だからどんどん、校門を出て行こう。学校は最低限の教育しか行えない。それ以上期待したらダメなんだ。

 

 どんどん寄り道して、学校から出て行くしかないのだ。怖いけどね。いいことばかりじゃない。今は殺伐としている。悪い大人もいっぱいるし、大人も日本全体も余裕がなくなっている。その見極めが大事ではあるのだけど。

 

 ぼくが学生のころはまだ大人にも余裕があって、おっかなびっくり校門を出てひとり旅をするようなぼくのような高校生や中学生を、みんなかわいがってくれた。色々いい思いもした。若者の特権を、十二分に味わえた。学校には居場所はなかったけど、このまま社会に出ても何とかなるかなぁと感じることが出来た。

 

 ひとつ提案がある。暴走族対策が理由でぼくの時は取れなかったが、原付免許を高校生にとらせてあげて欲しい。特に地方の学生さんに。足があるだけでも見える世界は違ってくる。