笑いに救われる | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 前の会社の上司が元お笑い芸人だった。トリオでデビューするも最後はソロになり、パッとせず解散。M-1グランプリは一回戦落ちと話していた。人間的にいい上司ではあったのだけど、確かに華がなかった。会話も滑るというわけではないのだが、普通に話していても面白みがない。この人がステージに出てきたとして、面白くないだろうなと思わせる人だった。

 

 又吉直樹の「花火」も読んだけれど、正直芥川賞を取る内容かというと疑問だった。若者の生き方のひとつとして「お笑い芸人」というものがあることを知らしめたことは評価するけれど。

 

 たぶんぼくが好きな笑いというのは、ユーモアに満ちたものであって、時に権力と戦うようなものなのだろう。あとは瞬発的なものではなく、伏線を敷いて行き、回収していき最後に大団円を迎えるようなもの。あるいは圧倒的な華。この人が出てきたというだけで空気が一変するような圧倒的な天賦の才。そういうもの。 

 

 クラスのちょっと面白い同級生レベルの人がステージに上がったところでどうした?と思うのだ。

 

 けれど格差が固定化していく今、お笑い芸人というのは既に数少ない人生の上がり目であって、ギャンブルに近いけれど人生を一発逆転する手段となっているのかも知れない。自分の圧倒的な才能、面白さを知らしめる、それで稼ぐというよりも学歴も金もない、そして不条理な自分のこれまでの人生を逆転させる。すがるような手段になっているのかも知れない。

 

 東京には、そして自分の周りには前の上司だけでなく元お笑い芸人や、現在もお笑い芸人という人がいて、簡単に会うことが出来る。

 

 毎週楽しみにしているのが、松本ハウスのハウス加賀谷さんのツイキャス。統合失調症を抱えながらの日々は、著書にもなっている。そしてコロナで自宅待機中にミクチャで会ったのが牧野ステテコさん。

 

 くだらないやり取りをだらだらとしていたのだが、爆笑することはなくてもいい空気、少なくとも自宅待機の湿っぽい時間をごまかすには十分だった。素人の会話を拾って投げ返す。この交通整理はさすがだった。

 

 ふたりとも同世代。実際に会うことが出来た。会いたい人にサクッと会いに行けるのが東京。