外国メディアに書く。久しぶりに朝鮮新報に書いたよ。 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 朝鮮新報の8月25日号に数年ぶりに寄稿しました。

 

 朝鮮新報とは朝鮮総連の機関紙。余り、というかまず日本人が書く媒体ではない。だが北朝鮮について調べる時、趣味とした時、色々と検索していくと必ずいつかこの媒体にぶつかることになる。

 

 憧れでしたねぇ。ここでいつか書いてみたいなぁと思っていましたが、まさか書けるようになるとは思わなかった。一時連載まで持ってましたし、それがどっかんどっかんウケてたし、おかげで今もああ、あの北岡さんねと言われる。あ、どーも新報で書いてる北岡ですのひとことで、取材もどんどん出来るようになりました。

 

 まぁこの、あの北岡さんの、あのというあとには(おかしな)(変な)(偏執的な)という文字がつくのですが。

 

 北朝鮮という国は、報道の自由ランキングで最下位近辺をウロウロしているが、この媒体に限っては全くの自由。報道が自由過ぎるランキングで一位である。日本の媒体の方が色々大変。一度、左翼系の団体に詰められたこともあったし。誤字脱字以外はほぼスルーされる。むしろ、校正が危ういから目を皿のようにして見ないと自分が大恥をかくことになる。

 

 いいかい。自由ってのはいいことばかりじゃないんだぜと、ふっと呟きたくなる。そんな媒体。

 

 というのも、ぼくは外国人なのである。しかも、書く記事は日本語。日本語を母語とする日本人記者の記事に朱は入れられないという配慮があるとかないとか。

 

 結果的に、北朝鮮おもろーい!在日社会ひゃっほーい!焼肉うまーい!という記事を書きまくって来た。

 

 日本人が自分って外国人なんだなぁと感じることは、日本にいる限りほぼない。マジョリティであることを感じること、いや、それすら感じずへらへらーと毎日過ごすことが出来る。マイノリティである在日コリアンの媒体で、自由気ままに書いて、でも取材先で、ああオレ、日本人で、ここではむしろ外国人なんだよなオレと感じることが出来る機会ってなかなかない。

 

 ぼくは人生のかなり早い時期に、ぼくは与党になることはないし、独自の選挙戦を展開している、ということを予感し、その予感は見事に当たったのだが、何重にもねじれた少数者の渦の中で、それなりに「面白い」という声を得ていることに満足しているのだ。

 

 この朝鮮新報も国会図書館に所蔵される。ぼくが死んでも残る。それだけでもうれしい。