危うい空中ブランコが続くような日々、北朝鮮に関わる書く仕事と話す仕事が続いた日々が終わってから数か月が経っている。
某雑誌社の編集者とは数か月連絡が取れない。年末進行のせいなのか。対立なのか。若干の心当たりはある。
単行本は半分くらい進んでいたこともあり楽観していたのだ。大学の恩師ともうふたりが救援要請に応じてくれた。企画書を手直しして原稿を手直しすれば、リスタートもカンタンに出来るとぼくは思っていたのだ。
それを慢心というなら、そうと言われてもしょうがない。
数か月。ぼくは全く企画書も直さず、書きかけの原稿に手を付けていない。
関係破たんした編集者への不審感は、最後の瞬間には極大化していた。明らかにこいつおかしいという言動は、破たん後の答え合わせで確信へと変わった。
だから企画書も原稿も、真っ白の状態から書き直したい。汚れているものは捨ててしまいたい。
しかし、手が進まない。ファイルが開けない。
昼の仕事に逃げている。昼の仕事でわざと力を使い果たして泥のように眠るのだ。老いと疲れに身体を任せている。心も。酒に逃げられない自分が時々辛い。
もう引退でいいじゃないかとも思う。そう考えてみると、ここ数か月の流れが、引退というひとつの点に収斂していくようにも見え納得出来そうな気もする。話すことも書くことも辞めて、舞台に登ることもなく静かに生きて行けばよい。スポットライトは一生分浴びた気もする。人生のサミットは極めたともいえる。
書けない、書けない。
書けない自分は、価値がないのか。書くことに色々と賭けてきたけれど、本気を賭けて来たのか。この先そこまでの価値が書くことにあるのかいう想いもあるのだ。
書けない。
そして、眠る。逃げるように眠る。