老いと呪文。 | 38度線の北側でのできごと

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 生現役なんて書くと、精力剤のコピーを想起するのはぼくの品性のなさからだろうか。だがもう現役からは一線を引かないといけない。あ、一線を越えたと思った瞬間がつい最近あった。職場で新人の同僚の仕事を受けた時のことだ。色々聞き込みが足りてないところはあるがそれはお互い様。ぼくも新人の頃はひどかったし、お調子者の体で「いーよ、気にするなよ、あとは任せとけ」というテンションで仕事を受けた。

 

 ある新人の女性同僚がその態度に「ラブみが深い」という反応を示しているということを人づてに聞いた。あ、ヤバいと直感的に思ったのだ。お調子者のテンションのおっさんきもーいと受け取られたかと思った。

 

 コンプライアンス事案だぞ対応次第では。と思ったが結果は正反対。むしろ感謝しているとのことを伝え聞いた。

 

 言語表現に関しては自信があったし、新語や見慣れない表現への解釈のベクトルは間違っていなかった。だが、このことばには全く反応できなかった。

 

 ああ、ぼくは老いた。歳を取った。ある一線を越えたという瞬間だった。

 

 悪い呪文を聞いたかのようにぼくはそこから急速に歳をとって行った。気が滅入っていった。人付き合いが億劫となり、腸がおかしくなり、仕事への熱意と仕事そのものがなくなり、鬱々とした数か月を過ごした。

 

 そして12月の今日を迎えた。腸のおかしさはストレスによるものと判明した。少しずつだけれど、上を向けるようになってきた気もするが老いを感じた一年だった。一生現役なんてあり得ないという話だ。

 

 友人に元イケメンがいる。確かに仲間内ではいい顔の部類に入る。その友人が未だその栄光に執心している。20代の女性に絡んでフラれることを続けている。

 

 もうぼくたちは外見では勝負できないのだ。一線を越えたのだ。肩をポン、と叩きたくもあるが叩けない。