「何だか暑いわね」と妻が言いながら部屋に帰って来た。気温はそう高くないはずなのだが。既に日照時間も短くなり35度を超える日はもう来ないだろう。朝の空気も秋の雰囲気があるし、夜は気のせいか虫の声も聞こえている。けれど確かに暑い。
7月くらいから人と会うのが急速に億劫になり始めた。決定的だったのはあさま山荘へのドライブだ。以来人と会うこと、話すこと、食事をすること、全てが億劫になり始めた。さらに文章を書くことが出来なくなった。何か、腰からがっくりと力の抜ける感覚があった。
暑さが増していく中で、汗と共に何か気合というか、そういったものがミネラルと共に流れて行くような気分だった。
いつから夏はここまで暑くなったのだろう。避暑ということばはもはや死語、避難というべきだろう。クーラーの効いた部屋で夏が過ぎるのを首をすくめて待つ。引きこもりだ。
ぼくはいくつかの友人や同僚からの呼びかけを黙殺し、また反故にした。今もその状況は続いている。
クーラーの効いた部屋でよく流れていたのは、韓国に関するニュースだった。なぜここまで韓国に関して、ぼくたちは関心を持つようになったのだろう。怒り、また呆れ、意見するようになったのだろう。
このニュースもぼくの心を徐々に蝕んでいたのだろう。
8月が終わった。夏休みが終わった。或る週刊誌の表紙に「韓国は要らない」と大きく描かれていた。
しばらく人と会いたくないな。韓国だとか北朝鮮の話はしばらく、少なくとも日本人とはしたくない。今の気持ちをうまくことばに出来ない。まとまらない。書くことも話すことも。噛まずに無理やり飲み込んだ大きな豆腐のような塊が、食道から胃にかけて浮遊している。違和感と不快感をふりまきながら。