さよなら、ホワイト国 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 韓関係が大きな転換点を迎えた。

 会社の上司から「飲みに行こう」と最近何度か声をかけられて困惑している。ぼくは飲めない上に、上司は韓国や北朝鮮の話をしたいというので、余計困っている。

 

 野次馬根性丸出しの方に何を話しても…。先日も聞かれたのだけれど、こう答えた。

 

「いわゆる韓国及び北朝鮮の話題がこうして普通の職場で、普通の人から口にされる現状がそもそも四半世紀朝鮮半島に関わっている者からすると驚きです。ぼくが大学生だったころのレンタルビデオ店では、韓国の映画はアジア映画の棚に、香港や台湾の映画と一緒くたにされていました。それが今や、韓流ドラマだけで数棚占有している。そこまで韓国及び北朝鮮が日本に対して影響を及ぼすようになった、その存在を意識するようになった象徴的なものと思います。この現状をまず認めないといけないでしょう」

 

 その上でこう加えた。

 

「今、表面化している朝鮮半島のいわゆるややこしい問題は、朝鮮半島について学び、関わり始めた早い段階で知ることになります。正直嫌になりますし嘆息もします。それでも関わっていくのですが。そのややこしさがこうして日本の多くの人に共有され、ネガティブな印象と共に浸透してしまった。これを払拭するのは並大抵ではありません。そういった意味でも日韓、日朝関係の改善は簡単ではないでしょう」。

 

 これ以上話すことはないんだけどなぁ。誘われたくない。

 

 戦争や国交断絶という究極の状況は避けなければならないが、一方で近過ぎる関係もどうかと思っている。いうべきことはいわねばならないし、毅然とした態度を取るべき時もある。どの国に対してもそうではないだろうか。

 

 韓国と北朝鮮の存在は大きくなった。意識せざるを得ない存在となった。これまで看過し、見逃してきたことも見逃せなくなり、時に厳粛な態度で臨まなければいけなくなった。

 

 日韓共にこれまでの近過ぎる関係から離れ、ひとつひとつの国としての健全な関係を模索する時期に来たのだ。過去との決別とは、決して歴史の否定を意味するものではない。韓国や北朝鮮を意識的に、あるいは無意識的に日本と比して小さな存在とみなし、あるいは揶揄して来たのがこれまでの日韓、日朝関係ではなかったか。あるいは「あいつらはしゃーないわ」と、彼らの声や行動を軽視しては来なかったか。言うべき時期に言うべきことを言わなかった、そのツケがいよいよ無視できない大きさになってしまった。そして相対的に日本も老いたのだ。勢いと影響力を失ったのだ。

 

 正視することが必要である。相手も、そして日本も。

 

 その始まりが今日なのだ。