領収書を大切にとっておく。確定申告のために。結構な金額が返ってくるのだ。
それはぼくが一応個人事業主、物書きだからであってぼくと同じ氷河期世代の人たちは領収書と縁が薄い。経費と縁が薄いのではないか。非正規で働いていると特に「経費」の恩恵は薄い。交通費や社会保険ですら時にありがたく感じてしまう。
社畜以前に奴隷ですな。これでは。
昨日は編集者さんと打ち合わせだった。月に一回ほど会って進捗と方向性を確認する。ぼくのリクエストで牛タンを食べに行った。牛タン定食を1.5人前食べて、デニーズでコーヒーを飲んで別れた。執筆中の原稿の第1章と写真を渡せたのはよかったのかな。
「経費なので」と編集者の方はぼくに支払いをさせない。ぼくは萎縮する。果たして、それだけの仕事をぼくはしているのかと。
もちろん苦労はある。苦労はあるけれどそれ以上に書くことは楽しい。浮かぶことばを捕まえすらすらと進む原稿。なんだか経費相応の苦労をしていない気もするのだ。
それはぼくだけなのだろうか。
ぼくたち氷河期世代というのは、どこか肩身が狭い。社会の入口に立った時に世の中に受入れられなかったトラウマを抱えている気がする。どこか卑屈だ。「ぼくなんかでいいのでしょうか」。そんなことばが喉元で飛び出すのを待っている。
それを飲み込み、ぼくは帰りの電車に乗る。さあ、今日も原稿を書こう。