水谷豊。 | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 貴ぃ!(傷だらけの天使)の声の記憶がぼくには鮮明で、最近の水谷豊には違和感があったのだ。紅茶飲みながら相棒とか、そんなのぼくの知ってる水谷豊じゃないやい。

 

 ショーケンと代々木駅近くのビルのペントハウスの上で、五右衛門風呂を沸かしながら、明日をもわからぬ、まさに浮草のような生活をしていたのが水谷豊で、そんな生活を続けていくのが水谷豊だとぼくは思っていたのだろうか。

 

 すると今、ぼくがテレビで見ている水谷豊はいったい誰なのだ。あの代々木のペントハウスは今も残っていると聞くが、そこに水谷豊はもういないのか。

 

 水谷豊

 

 ぼくは最近危うさを感じている。何にか。自分の髪の毛にである。不安なのである。

 

 会社の飲み会で、同じく髪が相当不安な上司とこんな話をした。

 

「ヘアケアってつまり、撤退戦ですよね」。

 

 決して勝ち戦ではない。負け戦である。引き分けもない。むしろ敗北しかない。出来ることは敗北の日をどれだけ遅くするのか。ポツダム宣言受諾をどれだけ遅らせるか。そこに尽きる。

 

 戦線は日々、ひたひたと北上を続ける。前線からの連絡は、悲しい報告ばかりだ。生え際前線は後退を続ける。フランス軍がルビコン川を渡り、ソビエト軍はベルリンを目指す。B29がぐわんぐわんと毎日のように飛んでくる。その速度をいかに落とすことが出来るか。ぼくたちはあがく。あがきにあがく。

 

 そこに水谷豊が現れる。

「リアップ!」

 

 水谷豊は救世主なのか。平和の使者なのか。水谷豊の差し出すリアップを、ぼくは思わず手に取りそうになる。水谷豊は満面の笑みを浮かべている。

 

 否。

 

 ぼくの目はそこで水谷豊の生え際、頭部を見つめる。ふさふさではないか。

 

 この矛盾は何なのだ?

 

 ふさふさの水谷豊が、生え際の後退に底知れぬ不安に嘆くぼくに育毛の大切さを説く。

 

 おかしいではないか。なぜ、水谷豊なのだ?

 

 これが高橋克実ならわかる。高橋克実がリアップを使ってふさふさになって「さあ君も」と言うならわかる。ぼくはがっちりと、高橋克実の伸ばした手をつかむだろう。リアップを使うことに何ら躊躇しないだろう。財布の底の小銭をも出すことにも。ハグもするかも知れない。「おお同志よ。ぼくは助かるのですね」と涙を流しながら。たぶん、高橋克実も涙を流してくれるだろう。

 

 しかし。しかし、水谷豊

 

 貴君は違うだろう。こちら側の人間じゃないだろう。

 

 もともと富める者が「うむ。君も大変だね。さあこのリアップを買いたまえ。医薬品だから効果があるやもしれぬ」と貧しき、急速に貧しくなりつつなるぼくにいうのである。

 

 どれだけ上から目線か。こちとら生え際は徐々に上からになりつつあるが、誇りは捨ててはおらぬ。

 

 ぼくは問いたい。

 

 水谷豊。貴君は毛髪量で悩むことはあるのか。これまであったのか、と。

 

 ある、と言うのなら問い質そう。

 

「どこが?」

 

 ぼくの生え際の悩み、日々覗き込む恐れの暗い海の深淵さを、ぼくは水谷豊に語るだろう。もういい、参った。すまないと頭を下げても「兄貴ぃ!」ショーケンに助けを呼ぼうとも、ぼくは語り続けるだろう。そして、その下げた頭の毛髪量の多さに、アァァァァァー!と狂人のようにぼくは叫ぶことも間違いない。

 

 水谷豊

 

 貴君の妻は伊藤蘭だな。ランちゃんだな。家では蘭さんと呼んでいるらしいな。テレビのトーク番組で見たぞ。

 

 豊富な髪に、美人の妻。

 

 くそぅ。

 

 ぼくたちに出来ることは、見ぬふりくらいだ。そうだ。水谷豊なんていない。いつまでもイケメンで、ふさふさで、奥さんが美人。そしてその奥様ののろけ話をしても、出演料が入って来る。間違いなく高収入。人生何冠王だよ。そんな奴いない。いてたまるか。

 

 そんな水谷豊が、わざわざぼくたちの世界に土足でやって来る。日々の生え際の後退に「大丈夫だよね?まだ俺大丈夫だよね?」とまるでお互いの姿を鏡で見るように、不安を慰め合うぼくたちの横に。優しい世界に土足でドスドス、スキップを踏みながらやって来る。

 

 「リアップ!」と言いながら。満面の笑みで。

 

 これが資本主義か。富める者はますます富み、貧する者からさらに吸い上げる。

 

 なるほど。水谷豊よ。貴君は資本主義の矛盾の象徴なのか。

 

 断っておくが、ぼくは社会主義者ではない。何も革命を起こそうなどとは言わぬ。立て万国の労働者もとい毛根よなどと赤旗を振るような真似はしない。

 

 ただ水谷豊よ。これだけはわかってくれ。

 

 貴君がリアップのCMに出るのはずるい。あんまりだ。それはない。仕事を選んでくれよ。日々絶望の淵に立っているぼくたちを、後ろから蹴飛ばすような、そんなことはやめてくれよ。放っておいてくれないか。貴君は貴君で、いつまでもイケメンな世界で生きていてくれればいい。そう、ぼくの見えないところで輝いてくれ。なるべくぼくもそっちは見ないようにする。とは言っても、水谷豊の生え際が輝くことなんて、たぶんないだろうけど。

 

 このあたりまで話したところで、髪の不安を共有する上司は大笑いしていた。別の同僚が言う。「でも、水谷豊が監督した映画、失敗したじゃないですか」。

 

 水谷豊。今、ムッとしたか?でも、謝らないよ。

 

 ぼくはその同僚に反論したよ。

 

「映画くらいせめて、失敗してくれよ」

 

 そうだよ。映画監督くらい失敗してくれよ。そこで成功なんてされてみろ。パロンドールと栄冠が貴君の頭上の上で輝いてみろ。人生失敗だらけのぼくたちはどうすればいいんだ。

 

 森田童子の「ぼくたちの失敗」を聴くくらいしか、やれることはない。知ってるか。森田童子亡くなったらしいぞ。カーリーヘアだったよな。え?パーマで毛髪量を増やすこともひとつの手だと?

 

 うるせえよ。

 

 パーマは髪に悪いんだよ。怒った髪に反乱食らったらおしまいなんだよ。機嫌を損ねないようにする毎日なんだよ。

 

 すまない。文章が荒れた。

 

 謝罪するよ。水谷豊

 

 呼び捨てにしたことも謝る。

 

 男の嫉妬という批判には反論の余地もない。その醜さも真正面から認めよう。

 

 だが、こうしている間にも生え際は進む。撤退戦は続くのだ。

 

 明日にはぼくのいる塹壕も、たぶん戦車に蹂躙されるだろう。今、塹壕から見る月を、明日見られるとは限らない。横にいた戦友のうめき声が聞こえなくなった。

 

 それにしても、なぜ今日という日に、3月11日という日にぼくはこんな不毛な話を書き続けているのだろう。

 

 水谷豊よ。教えてくれ。

 

 こんな切ない感情を、貴君は持つことがあるのか。迫りくる生え際と老いに震えた夜はあるのか。

 

 それを忘れるために、いつ終わるとも知れぬ不毛な文章をこうして、つらつらと書いた夜はあるのか、と。