世界史が嫌いだ。
カタカナの人名、国名、地名などなど。頭がぱらぱらと真新しい教科書をめくった時点で全力で拒否していた。幸い日本史は大得意だったので、世界史は早々に捨てた。
学生時代、ぼく自身はもちろん、ぼくの周りに何かの宗教の熱心な信者はほぼいなかった。大晦日に除夜の鐘を聴いて、神社で初詣する。節操のないというべきか、時に世界的な奇跡とも呼ばれる、ファジーな日本的宗教観の中でぼくは育った。
20代のころソウルにいた。金浦空港に着陸する飛行機からソウルの夜景を見たことはあるだろうか。赤い十字架の数に驚いたことはないだろうか。地上に降り立ち街を歩けば卍。仏教寺院も多い。地下鉄に乗っていて「教会に通いなさい!」と耳元で怒鳴られたこともあったし、大型書店で若い女性に声をかけられて、え?逆ナンパ?かと思ったらカルト系の勧誘だった。申し訳ないけれど口臭がひどい女性だった。
成人してから何人かのカトリックの信者の人と知り合った。どこかほんわかとした、何かを達観したような表情と立ち居振る舞いが苦手だった。騒々しく、感情の起伏が大きな自分とは対極にいるその存在が苦手だった。そして世界史の授業を思い出して苦手だった。
縁あってあるカトリックの信者の方と、月に数回のペースでメールのやりとりをしている。お互いの近況と時候のあいさつ、好きな作家の話。やり取りは急がない。まるで文通のようなやり取りをしている。
ここ最近、ぼくの身の回りに起こった出来事についてメールをした。自衛のため、精神的な限界のため、余りの理不尽に怒りを表明した出来事。それは望ましい結果を招いたが、同時に若干の罪悪感もぼくに抱かせた(なんだかヘタな英語の訳みたいだ)。
追い込まれていたのだろう。そのメールは懺悔に近いものだったのかも知れない。たぶん、穏やかなその方はたしなめるだろう。心の乱れを静かに指摘するだろう。感情的なふるまいに、若干の軽蔑を表明するだろう―――。送ってからそう感じていた。
返って来たメールは正反対だった。ぼくの怒りへの同調、支持だった。珍しく感情的な文面だった。
その時ぼくはなにかに赦された気がしたのだ。そして気づいた。ぼくは赦されたかったのだ。
スッと横隔膜の緊張が解けた気がした。深くため息を吐いた。天を仰いだ。涙は出なかったけれど。
今日も変わらずぼくはファジーな日本的宗教観の中にいる。特定の宗教の信者となることはこれからもないだろう。だが、大きな存在を感じる。自分の人生を導く何か。力。それを誰かが神と呼ぶのなら神なのかも知れない。神でもいいと思っている
或る都合から、その方と会う予定はしばらくない。ご飯を食べましょうと約束はしているのだが予定が立たない。だが、いつか会うことが出来たら。ぼくはたぶん、一度深いため息を吐く。横隔膜の緊張の緩みを感じながら。