甘い水・辛い水(更新不定期) -3ページ目

31:崩壊

ツアーから帰ってきていくつかライブをこなし、

いよいよ第三弾の音源を作る事となり、

前と同じく深夜のレコーディング。

今回はいつものスタジオではなく、姫路betaでのレコ。

演奏力が上がってきたのはそのまま高度な注文に跳ね返る。

3日間をかけて2曲の録音を終了。 

曲はカッコイイ、でも、なんかスッキリしない。

何が原因かも分からない。

ちょっと不安は残るものの、とりあえずトラックダウンは後日。


その間にはライブがある、MCで今レコーディング中であることをお客さんに告げて

「お楽しみに!」という言葉で括った。


ライブの帰り、車の中でBa.のナオが言いにくそうに口を開いた。

「オレ、このバンドやめようと思う。」

皆押し黙ってしまったけど、しばらくしてナゼかと言うのをポツポツと喋りだした。

彼はスタジオ店員をしていて、人一倍練習時間があり、皆が認める上手なベース。

ただ、色んな音楽に触れているに伴って違うジャンルの音楽に惹かれたようだ。

ファンクやジャズ、フュージョン等の今やっているのとは全く違う音、

結構前から思っていた事らしい。

メンバーも、そういう音楽を練習しているナオを知っていたけど衝撃だった。

化粧をするのにも抵抗があったとか。

まぁ元々このメンバーはビジュアル系が好きでバンドをはじめたワケじゃないから分からんでもない。

これでベースの脱退は決まった、説得とかそういう問題じゃない、

そもそも次にこういうことをやりたいと本気で思っている人間に説得なんて通用しない。


でもその話が終わってすぐ、Gt.の悠が「実はオレも前からやめようと思っとった。」って切り出したのにはコケた。

なんでのっかるカタチで言ったんやろう。

さらにはVo.シンに至っては「正直ビジュアル系とか好かん」と言い出した。

最初にビジュアル系バンドやろうって言い出したのに!


なんせ時期が悪い、

次のライブには音源を発売する予定。

なんでこんな時にそんな話になるんや・・・。

5人中3人が抜ける、それはこのバンドの解散を意味しているのが分かってるんだろうか。


困った・・でもとにかく後日改めてミーティングという事でその日は終了。


暗雲がたちこめてきた。



続く。

30:綻び

初ツアーを終えて、おちついたと言うか。

何か達成してしまった感というか。

メンバー全員がちょっと腑抜けた感じになっていた。


バンドの活動としては順調そのもの、

いつものように週に2・3回の練習をやって曲のアレンジを考える。

ライブは月に1回程度。

同じような事の繰り返しと、1ツアーこなしたという妙な自信で軽く天狗になっているようだ。

当然当時の自分も天狗な上にそれに気づいていない。


アルバイトで地元のライブハウスのバーテン&照明をやっていたが、

そこに出演するのはもっぱらコピーバンドや興味のないオッサンバンド達。

刺激も感じなくなり、どの出演バンドを見ても自分達の方が上だと変に見下し、

何の勉強にもならんとヤメてしまった。

よく考えれば色んなジャンルをタダで見る事が出来るし、

かっこ悪いバンドでも、なぜかっこ悪いのか、自分達がそうならない為にもいい勉強になっていたのに。


この辺りからベタなようだが徐々にメンバー内の意見のすれ違い、方向性の違いが出てきた。

このバンドをはじめた当初はジャンルもよく分からず、

とにかく手探りで活動していたけど・・・

たぶんそこそこ演奏できるようになってきて、

お客さんもついてきて、レコーディング・ツアーを経験。

やっと自分達のバンドってのをちゃんと理解してきたのかもしれない。


そこで見つめ直すと、こういう風になりたくて楽器をやり始めたんじゃないって思い出してきたメンバーがいたんだと思う。


いったん崩れだした壁は修復するのが困難。



続く。

29:さよなら機材車

大阪から帰ってきて、とりあえず壊れた機材車の修理の見積り。

高い!正確にいくらかは覚えてないけど、当時のオレ達に払える金額では無かったのは確か。

メンバーで相談した結果、廃車となる事になった。

何かと思い出あふれる機材車、色んな事がありました。

そう言えばこの機材車についてはあんまり触れてなかったのでここでもうちょっと書いておこう。

前に書いている事と重複するw

そもそもはスタジオ店員R兄さんの所属するバンドが上京することになり、

後輩バンドだったウチのバンドで使わないかと言われたのが始まり。

18.5万キロ走った状態で結構高値で売ってくれたw

前から機材車として使われていたので、ライブバンドとしては使い勝手のいい状態。

イスは前列のみで後ろは絨毯、なので荷物はかなり収納できて寝転ぶスペースもある。

トモキが所有者だったのだが、彼の家のまわりの道はかなり狭くよくこすっていた。


姫路betaでライブのとある日、どーしても出席だけしとかないといけない大学の授業があり、リハが終わってから機材車に乗って一人で大学に行った。

出席とってすぐ機材車に戻ったんだが思いっきり駐禁、そんな事もあった。


他には夏に先輩後輩総勢10名ぐらいで日本海に、ウチの機材車ともう一台ワンボックスで小旅行。

若いし勢いあふれていたオレ達は高速道路でお互いの車にロケット花火を打ち合ったり、

交差点で煙玉を投げて視界ゼロにしたりとやりたい放題。今考えたら捕まるってw


とにかくドコに行くにも機材車で全員移動、楽しかった。


そんな機材車との別れ、やっぱ寂しい。

しかしまぁ動かない車はただの鉄の塊、さらば。



続く。