「人を助けた者は 人からも助けられる」

 

誰かを助けると、恩義を感じた人がお返しに助けてくれる

という教えだとすると、わかり易いです。「鶴の恩返し」や

「浦島太郎」のような恩返しの物語が昔からあります。

 

一方、最近では、義理と人情みたいなものが通じにくくな

っているなぁと思うこともあります。「恩を仇で返す」

という言葉もあるくらいですから、「恩知らず」な行いは

昔なら指弾されるでしょう。

 

友人関係、家族関係、上司と部下でも恩を忘れると、困った

ことになります。

 

政治でも似たようなことがあるようです。善し悪しは別と

して、恩を忘れると、手痛いしっぺ返しを受けることが

あります。しかし、お互いに「恩知らず」だと思っている

場合は厄介です。

 

ただ、助けた人が恩返しで助けてもらえる、だから他の人に

親切にしようね、というのはわかり易いけれども、どこか、

打算が付きまといます。

 

打算は少しも悪いことではないのですが、仏教の教えなの

だから、きっと、そうした打算ではないのではないかと

いう気もします。

 

とすると、助けた「人」と、その人を助けてくれる「人」が

違う人だということもありえるのではないかと思えてきました。

 

ここで思い出すのは、「情けは人の為ならず」という言葉。

「人に親切にすると、まわりまわって、自分にも恩恵がある」

という意味です。

 

最近は「情けをかけると(相手を甘やかすことになるから)、

相手のために良くない」という誤った意味で使われることも

あると聞きますが、本来は、そうではないようです。

 

すごく小さな事例ですが、

 

30年前、京都で暮らしている頃、手紙を出そうと思って手紙を

ポケットに入れて自転車で走っているうちにどこかで落として

しまったということがありました。道を戻りながら探しましたが、

見つけられません。

 

さて、書き直そうかと思っていたら、その翌日には

「手紙届いたよ」と連絡が。

 

私が落とした手紙を誰かがポストに入れてくれていた

のです。誰がポストに入れてくれたか、もちろんわかりません。

ですから、私の代わりに手紙をポストに投函してくれた人は、

その人自身には何の利益も無いのです。金銭的見返りはもち

ろん、相手によく思われたいという見返りも無いわけです。

 

道端で、子どもが落としたであろう小さな人形などを誰かが

拾って、道端の柵に掛けているなどということを見かける

ことがあります。

 

自分の利益にならないのに、他の人に親切にする人って、

意外にこの世の中にはたくさんいるような気がします。

 

自己満足? 善行などと呼ばれるものは、当然、自己満足

でしょう。自分がしたいからする、させてもらう。

 

先月の「お陰様」に通じるような話かなと。

 

「お陰さまという心」 守谷市 長龍寺 | 塾講師の下総日記

 

「恩送り」という言葉もあります。誰かに親切にされたから、

別の人に親切にする。多かれ少なかれ、みんな恩送りの中で

生きていると言えるかもしれません。人に親切にされた経験が

あればあるほど、他の人にも親切にできるものかもしれません。

 

子どもでも、友人でも親切にしてあげたのに何か御礼の言葉や

お返しなどがないと、少しがっかりするものかもしれませんが、

まぁ、しかし、恩送りの連鎖の中に自分がいると思えば、

見返りなど期待しなくなる心持ちになるかもしれません。

 

 

 

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