茨城県守谷市の長龍寺の山門前に掲げられている言葉。

 

「互いに お陰さまという 心をもって 合掌すれば

世の中に争いは起こらない」

 

そう言われれば、最近、会話の中で「おかげさま」を使う

ことは少なくなったなぁと思います。もう少し年齢が上の

世代の先輩達がよく使っておられました。

 

(道で知人と会って)

「お元気ですか?」

「おかげさまで、元気にしております」

 

ここで言う「おかげ」は声をかけてくれた相手のおかげなの

か、何か神様とか仏様とか違うものかは判然とせずに使われ

ています。

 

「陰膳」というものがあります。法事の時、亡くなった人の

ことを思って用意する料理のことを言いますが、それだけで

はなく、生きているけれども、そこにいない、遠くにいる人

の幸福を願って準備する料理のことも指します。戦時中には

出征している家族の無事を祈って供えたと聞きます。

 

誰かが陰で自分を案じていることが自分に良い影響を与えて

いると考える考え方は「おかげさま」とつながる考え方で

しょう。


自分には直接見えないものへの感謝の姿勢は、謙虚な気持ち

につながるのではないかと思います。神様、仏様、ご先祖様

というものに限らず、知っている人、知らない人などとの

社会的な関係や自然条件など。

 

ご飯を食べられるのは、食べ物を作ってくださる農家の人の

おかげ、運んでくださる人のおかげ、お店で売ってくださる

人のおかげ、それを買える仕事や資金を自分にくれた人の

おかげ、料理してくれる人のおかげ、・・・・

 

こういう「おかげさま」という謙虚な心持ちは日本文化の中

で育まれて継承されてきた心持ちや姿勢ではないでしょうか。

 

ブログやSNSの「いいね」等も、「おかげさま」に通じる

かもしれないなぁと思います。「いいね」されると嬉しかった

り、また、「いいね」する側も、そのブログ等で元気をもら

ったり。お互いに直接は知らない人であるのに。

 

逆の姿勢。

 

他人の自己責任を責めて、自分の自己責任を考えず、お前が

悪い、自分は悪くない、という心持ち。それこそが争いの源

だということが、お寺の掲示物の言わんとすることでしょう。

 

誰かのせいで自分は今こんなにつらい思いをしている、

誰かのせいで自分は損をしている、そういう発想のほうが

今は力を持ち易いのかもしれません。

 

目には見えない「おかげ」を理解する手助けをするのも、

教育の仕事の一つだろうと思います。誰かを攻撃する、

しかし、実はその誰かの「おかげ」で自分の生活が成り立

っているのかもしれないと気づけること。

 

合理的な推論や想像力。

 

 

良学舎/ 豊四季駅前 学習塾 小学・中学・高校 柏 流山 おおたかの森 野田