日本は武力に勝る大光明力を持っている
武力に勝る力を、日本の国は、そのまま持っているのです。
それを日本人は忘れ果てているのです。
その力は何か、神からそのままくる力、慈愛のみ光、救世の大光明の絶大なる力なのです。
神は生々と働きつづけておられるのです。
救世主はすでに天降っておられるのです。
霊眼に観られる救世の大光明の光は、いかなる業想念をも敵と見ゆる存在をも、すべて融合して光一元にし得る絶大なる力をもっているのです。
その事実を私たちはよく知っているので、常に常にその大光明に帰一する世界平和の祈りを説きつづけ宣布しつづけているのであります。
合気道の植芝盛平先生の無敵の姿は何処からくるかと申しますと、神と一体になったところからくるのです。
人間が神と一体になった瞬間から、その人には人には敵は無くなるのです。
大調和の姿になるのです。それが合気道であり、世界平和の祈りなのであります。
そして、それが日本の真の姿を現わす真の道なのであります。
まず世界人類にさきがけて、日本人の一人一人が神との一体化を実現することこそ、日本の使命が達せられる唯一の道であり、ひいては世界人類を恒久平和の道に導き入れる道でもあるのです。
この地球界においては、力というものは絶対に必要なものです。
しかし、この力というものが、普通いわれる武力による力関係というように思われているうちは、世界人類の平和は実現でき得ないし、日本の使命も永久に達せられないのです。
その力とは、合気道の植芝盛平翁のもつ力であり、世界平和の祈りがもっている光明力なのであります。
そうした力が、こうして現存的な力として示されているのです。
宗教の本質が現われば何人も、こうした力をもち得るのですが、こうした神力を信ぜず、いまだに武力に頼ろうとしている宗教者が存在することは、実に嘆かわしいと思うのです。
武力と武力の力関係によってかもし出される不安恐怖の時代を、人類はまだまだ続けようというのですか。
神力を信じつづけてもし仮に地球人類が滅びるならば、それも神意によることなので、致し方ないではありませんか。
どうせ、神から来た私たちの生命なのですから、神のみ心のままでよいではないのですか。
肉体人間はみずからが生きているのではなく、神のみ心によって生かされているものであり、み心によらねば、肉体に存在することも、肉体を去ることも許されてはいないものなのです。
人間はそうしたわかりきったことをもう一度じっくり考え直さねばなりません。
そうしてその真理をはっきり悟った人こそ、生きるも死ぬもない、永遠の生命を発現しつづけ得る、真の人間、神人になり得るのです。
その日の為にこそ私たちは、世界平和の祈り一念で生き続けることの大切なことを人類すべてに知らせようと活動しているのであります。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
『霊性の開発』五井昌久(著)白光出版