目に見えないお返しの方がいい
世界というものも、人類というものも、自分の身近に感じるようにならなければいけませんね。
世界人類が平和でありますように、これは自分が平和でありますように、という気持ちが入っているのです。
自分が金星に住んでいるわけでもないし、木星に住んでいるわけでもない。地球世界に住んでいる。だから、まず地球世界が平和にならなければだめですね。
この太陽系の星の中では、地球が一番進歩がおくれている、というのは本当だと思うのです。金星の世界、或いは火星の世界では競争心がないのです。
感情を自分で制御できる、自分の感情を想いのままに扱うことが出来るのです。感情に溺れないわけです。あのヤロウ憎らしいなどと思わない、そんなことは何も思わないで、自然に行動して、道にかなっている、そういう世界なのです。
神界もそうなのです。霊界もそうなのです。肉体界と幽界(潜在意識の汚れた世界)だけですよ、なんだかんだ騒々しいのは。金星なんかというのは進化した世界ですから、相手をやっつけようとは思わない。征服しようなんて思わない。業の感情がないのです。
ところが地球人間の世界は業の感情がいっぱいなのです。あのヤロウ人の顔を汚しやがった、とか、あんなに親切にしてやったのに、仇でかえした、とんでもない奴だ、とかよくあるのですよ。私、あの人のためにしてやったのに、あの人は私の悪口を言っているのです、といって泣くんですよ。泣いたって始まらないです。
いいことをして、且つそれでも仇で返されるのは、こちらはいいことをして徳を積んでいる上に、それだけまた業を消してくれているのですよ。
いいことをして、それを仇で返してくれることはよけいに徳をつむことになるのです。いいことをしてお返しが来ちゃったら帳消しですよ。これをしてやったと思う、あの人のためにしてやったと思うのですが、してやったのではないのですよ。させてもらったのです。
何故させてもらったかというと、してやったことがそのまま業が消えてゆく姿なのです。光が出ていったのです。その上、かつ向こうが悪口言ってくれるのですから、業を背負ってくれるのです。
有難いことに、ドンドン業をひろってくれるのです。悪口をいわれるたびに本心が出てくるのですよ。言われるたびに業が減ってくるのです。そういう考え方をしなければだめです。
自分は向こうのためにしてやって、お返しが悪いものであったらば、それだけ自分の業が減ったと思いなさい。
目に見えるものでお返しされるよりも、目に見えぬお返しのほうがよほどよいのです。これを天の蔵に宝を積むというのです。
目に見える宝をもらうよりも、目に見えぬ宝が余程いいんです。目に見えぬ宝はすごいのですよ。やがてこれは返って来ます。
だから自分でもって、これだけしてやったなどと、ケチな考えを起こさないで、もう出来る限りのことをやりなさい。
返ってくることなど考えなさるな。
いいことをした時には、人の為にした時には、そのまま自分の業が消えています。自分の本心が光り輝いています。
『不動の心』 五井昌久講和集5