問 姓名を変えることにより運命が変わったり、方位学の方除(ほうよ)けによって幸福になったりすることがあるものでしょうか。
答 姓名をただ変えただけで運命が良くなる、ということはない。
姓は祖先の歴史(因縁)を現わし、名は、その人の過去世の因縁を現わしているので、姓名を観て、その人の性格や、過去の運命を当てたりすることはできる。
しかし、その姓名のひびきだけが、その人の運命を造ってゆくのではない。
何の何某(なにがし)とつけられた姓名の、そのつけられる前、即ち生まれる前に、すでに今生の運命を現わしてゆく素因(もとのいん)があるので、その素因が、何がしという姓をもつ家に、何某という名をつけられるように生まれてくるのである。
その名が、運命を造ってゆくのではなく、その名が、その人の過去世からの因縁、即ち、過去世においていかなることをし、いかなる想念をもって生きていた人間であったか、ということを示しているのである。
であるから、その過去世の、その人の因縁、つまり、行為の習慣、性格の傾向等々を素(もと)にして、今生の運命を推察してゆくことができるのである。
それが姓名学なのである。
しかし、それは、あくまで推理であって、できあがっている運命を見るのではない。
確定しているものをいうのではないので、当たることもあろうが、当たらぬことも多い。
姓名学は、その姓名と、生まれ年月日を加えて観なければならぬことになっているので、生まれ年月日さえも聞かず、姓名だけで、人の運命を示々(うんぬん)するようなことは、非常に悪いことである。
生まれ年月日を加えて、その道の達人が観た場合でも、それは、あくまで、過去世の因縁からの現れから推理を下しているに過ぎないので、その人が、過去世の因縁として現わしている名前そのものを変えたとしても、その人の過去世からの悪因縁、つまり、性格の短所、生き方の欠点を修正してゆかなければ、到底、姓名学だけで、運命を良くすることはできないのである。
私が姓名判断に、一番不満を感じるところは、大体の姓名判断者は、運命の欠陥をまず突くことなのである。
この姓名では、何年何月頃大病する、とか、結婚運が悪いとか、はては短命だとかいい切る人が多いのである。
それは、お前の因縁は、こうなんだから、名前を変えなければ、その悪因縁の通りになるのだ、と、その人の心の中(うち)に、その人の悪因縁(悪い運命)を深く認識させてしまうようなもので、その人の運命を、過去世の因縁に縛りつけてしまうことになるのである。
それは一種の強迫観念を植えつけることになるので真の救済からは、ほど遠い方法なのである。
まして、よほどの達人でないかぎり、過去世の救済から姓名のひびきを通して、真の未来を予見することは困難なのであるから、まずまず姓名学は、出産児の名前をつける時ぐらいにしておいたほうがよいのであろう。
名前など変えなくとも、自己が、自己の長所、短所をよく識って、その長所を伸ばすことに真剣になることによって、運命は変わってゆくのである。
まして、真の信仰に入った人などは、そうした姓名学の範疇から超越してしまうのである。(五井昌久『神と人間』 136~139頁)(続く)