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小我の祈りは、その人をますます小さくするだけで、なんの得にもなりはしない。
ただ、神だけを想うことである。愛だけを行ずることである。
愛は、時に峻厳を極める場合がある。しかし冷酷とは全然異なるものである。
愛は全体を生かすとともに、そのもの、そのことをも、真に生かすために、峻厳さを示すものであり、冷酷とは、自己や自己の周囲の利益のために、すべての殺すものである。
愛の峻厳であるか、冷酷性からくる厳しさであるか、自己を省み、他を参考にしてよく自己の道標としなければならぬ。
愛の峻厳を装った冷酷、愛とも擬(まご)う情意(執着)、この二つの心を超えるためにこそ、人は神に祈り、神と一体にならねばならぬ。
私はそうした人間の深い問題を、根柢から知らせる役目を神から受け持たされているものと信じて、毎日、空即実相の祈りを、多くの人びととともに祈りつづけているのである。(五井昌久『神と人間』97,98頁)
感想・・・・・愛は峻厳、厳しさを伴うものであり、相手の魂の成長を願って情を断ち切っていくときには断腸の思いをするものです。 一方、冷酷は根底に愛がなく、ただ自分の我欲だけで相手の心、琴線(きんせん)には響かないのです。
私たちは、愛を成長させてゆくことが肉体界に天下った一番の目的であり、神が愛であるように(か~あ み~い)、宇宙の進化と同じなのです。宇宙も常に進化している、人間も進化し続けている。
地球は子ども(精神的に幼い)から大人の星(愛深い)に移行する時期に来ています。
アセンションがソフトランディング(緩やかな着地)をするには、お釈迦さまやキリスト様のような愛一元になった聖者が多く顕われなければなりません。
『世界平和の祈り』は私たちが愛そのものになるためのツールなのです。
『世界(宇宙)人類が平和でありますように』 の言霊は宇宙の理念そのものです。
人間のマイナス想念、業想念、業因縁が消え去る、超プラスの愛のエネルギーなのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます