~職場、環境を生かす努力を~
どんな小さな職場でも、つまらなそうな職場でも、自分の生命を真剣に生かすことはできます。職場がどうの、職業がどうのというより先に、常に自分が真剣である、ということのほうが大事なので、一つのことに真剣な人は必ず幸福をつかむ人です。
たとえその時の職業や職場が自分に合わぬところであっても、いったん置かれた環境であれば、そこで真剣に自分を生かす道を見出すことが大事なのでありまして、そういう真剣な人は、必ず自分に最も適した職場が与えられるにきまっているのです。
何故ならば、その人の心境は常に神から分けられた生命を生かしきっているからでありまして、学校でいえば、中学や高校や予備校にいる段階をすでに超えていて、本番一本で勝負のできる心の状態になっているからなのです。
自己にそぐわない環境とか、職場とかいうものは、その人の精神を磨くために、守護の神霊が、そういう状態にあてはめているのでありまして、そうした職業や環境を嫌って逃げようとしたり、怠けたりしていれば、いつまでたっても同じように、心にそまぬ職業や環境があらわれてくるのであります。
小学校を出なければ中学にゆかれぬ、中学を出なければ高校には入れぬ、と同様なことが、この社会でも行われているのです。その真理を知ることによって、人間は一段と進歩をしてゆくのであります。
ですから、もしあなたの職場や環境が自分の心に染まぬものであったら、ああ、これは自分の心を磨くために神様が私の修行場として与えて下さったところなのだ、と思って、その職場や環境を生かすように努力する必要があるのです。
そこで私が常に申している、悪いことや嫌なことはすべて消えてゆく姿とみて、その消えてゆく姿を、世界人類の平和を願い、自己の天命の完うされることを祈る、世界平和の祈りの中に入れつづけてゆくとよいのであります。
たゆみない世界平和の祈りの中からは、必ずあなたの天命の完うされる立場が、職場の中からか、または他の場からか、どちらにしてもはっきり現われてくるのです。
ですから、今置かれた職業に使命観をもって、真剣に取り組んでゆくことが大事なのです。
目の先の落し穴に落ちぬように、不平不満の想いはすべて消えてゆく姿として、平和の祈りの中に入れきってしまいましょう。
あなたを日常茶飯事の中でも守りつづけているあなたの守護の神霊が、必ず祈りに応えてうまくやってくれるにきまっているのであります。
(五井昌久 「祈りのある生活」)