感想・・・私がメンターと話をしているとき自分の考え、想いを述べると
「それはいらない」「その考え、想いもいらない」「頭で考えることはやめなさい」「あなたが頭で考えるとこちらの頭が痛くなってきます」「想いは重いのです」と肉体頭脳を全否定されたことがあります。
普通ではおかしな話ですよね(笑)
「頭で考えてなにが悪いんだ、おかしいんだ」「頭で脳🧠で考えるのは当たり前ではないか?」
その時はそう思ったのですが、
今、私はほとんど頭を使っていません、頭で考えそうになると祈りに切り替えたり、考えないようにしています。
それは現実逃避をしているのではなく、肉体の頭には、人間の人類の集合意識(どこまでの範囲かはわかりませんが)、自分の過去世からの潜在意識などありとあらゆる余計な想念ばかりが入って来るからです。
自分の本心と混合し、わけがわからなくなります。
私は特にマイナス思考になり、未来に不安を持ってしまう、不安を抱き続けると潜在意識にインプットされて、現実のものとなってしまいます。
だから私は自分から計画を立てません(笑)
外部からのメッセージ(守護霊さんの意向がある)には反応しますが、頭で考えたことを行動に移すことはないのです。
そうしていると宇宙法則に乗り、必然的なことだけが目の前に起こるようになってくるのです。
老子様は、「無為になせ」と説きました。
「〇〇のためにしようとするな!」
そしてメンターは、おっしゃっいました。
「考えない努力をしなさい」・・・と
今、この言葉がほんとうによくわかります。
でも、そんなこと難しいですよね
だから祈りに切り替える
自分の全想念、すべてといわなくてもほとんどの想い(重い)を光の溶鉱炉である『世界平和の祈り』の中に入れてしまうのです。
すると神様の光(叡智)だけが降りて来ます。
それが人間の本来の姿なのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
本文
人間というものは、誰も彼も等しく神の子であり、神の分生命であって、生命そのものに変わりがあるわけはないのです。
それがこの人生では、高下優劣があることになってしまっています。
何が、人に高下優劣という区別をつけさせたのであろうか。
それは神から分れてきている生命そのものがしたのでも、されたのでもないのであります。
すべてそれは、人々の想念の波動によるのであります。
自己の生命の働きを妨げるのも想念なら、他の生命の働きを妨げるのも想念なのであります。
ですから、私は常にすべての想念を祈りによって神のみ心にお還えしして、神の分生命そのものになって、この世での天命を完うしよう、といいつづけているのであります。
そうした真理を、実によく体得しているのが、我が老子なのであります。
(五井昌久著・高橋英雄編『日々の祈り』30頁 )