【物事は簡単なのです】
1.何事も難しいというのは易しいということがわからないからである。 考えすぎて、すべてを複雑化して捉える習慣が身につき、単純に考える方法を忘れてしまっているからである。 どんなに難解のように見えても、又思えても、原点は実に単純明解そのものである。 宇宙の運行も大自然の法則も、決して複雑なものではなく、単純そのものである。 世の中が進むにつれて、ますますすべてが複雑になってゆく。 これは人間が勝手に作り出しているものである。すべて事に当たる時、まずやらねばならぬことは唯一つ、これは必ず自分に出来る、と思うことであり、易しいと思うことである。
2.どうしてあなたはそんなに物を欲しがるのですか?あれも欲しい、これも欲しい。 家も建てたい、車も欲しい、レジャーを楽しむお金も欲しい。 何故、今日もまた無事に生かされていることに、あなたは満足しないのですか? もしすべてが叶えられたとしても、明日生きる保証がなければ、すべてが虚しいものとなってしまう。 神様はあなたが本当に必要とするものであれば、必ず与えてくださるものです。 神に生かされていることに深く感謝すべきであって、決してあなた自身一人の力で生きているのではないのです。
3.さあいつまでも甘ったれてばかりいないで、少しはシャンとしろ。 いつまでもクヨクヨしてばかりいないで、スッキリしろ。 まわりが何でもお膳立てしてくれると思ったら大間違いだ。 いつまでたってもこの状態から抜け出すチャンスは来ない。 自分の力で乗り越えるのだ。 乗り越えようとする心が大切なのだ。 乗り越えられると思い込むのだ。 いつまでも自分を甘やかしつづけると、自分が損をする。
4.あなたは今、何を感じて何を見つめて生きているのであろうか? そして何を考えて生きているのであろうか? 明日のこと? それとも将来のこと? 或いは過ぎ去った過去の出来事? 人それぞれにあらゆる生き方を考えているに違いない。 自分の前に現われてきた目先のことばかりに想いや考えを向けないで、つねに二年三年後の近い将来の楽しい出来事を設計し、夢見、心に描いて生活してゆくと、本当にその夢が思ってもみなかったように実現する。 心が常に楽しい将来のことを想い描くため、今、目の前に現実として覆いかぶさってきている種々の苦しみや悲しみに、心が把われることがなくなると、その悩みは自然と通り過ぎて消えていってしまう。 常に心を転換させることが、生きてゆく一つのコツである。
『日々の指針』 西園寺昌美 白光出版
感想・・・・人と議論することは大切なことだと思うけれど、その中からアクションを起こすきっかけになる話し合いでないと意味がないと思うのです。
頭の中でどれだけ「ああだ、こうだ」とこねくり回しても机上の空論であるならば、時間の無駄です。
またその議論が建設的な前向きなものであったとしても、実際に動いて変化を起こさなければ何もならない。
それならば考えすぎることをストップして今のこの瞬間、「ヒラメイタ!」ことで動いてみる。
行動を起こした後に「ああそうだったのか!」と納得する。
これも一つの生き方だと思うのです。
人間考え過ぎて善い結果になることなど、絶対にないのです。
それは何故かというと、考え過ぎる、想いすぎるということは、人の想念をもらってしまうからです。(残念ながらほとんどがマイナス想念です)
想うとは相手の心と書きます。
私たちは自分の心(本心)で想い、考えていると想っていますが、想えば想うほど、考えれば考えるほど本心から離れて行っているのです。
素晴らしい神の叡知が宿った本心はどこにあるのか?
それはほんとうの自分がいる神界です。
肉体界(現実界)→幽界(迷いの世界)→霊界→神界(本心)
想う、考え過ぎると肉体界と幽界をグルグルと廻ってしまうのです。
そしてくだらないことで悩み、苦しむ・・・・・・・・・・・。
お釈迦様は、神界(本心)につながるために頭を空っぽにして、肉体(頭)から意識を外して「空になれ」とおしゃいました。(そのために座禅観法を教えた)
キリスト様は、「幼子のようになりなさい」とおっしゃり、老子様は、「無為に為せ」(想いを巡らせて何々の為にしようとするな)とおっしゃったのです。
今こそ、人間は、「無」であり「空」の心境になる必要があると思います。
そのためのメソッドが『世界平和の祈り』 です。
自分の想念(業想念)を世界平和の祈りの中に投げ入れる(唱える)と祈りの光のエネルギーが業想念(ああだ、こうだ)を消してくれるのです。
そして光り輝いた叡知、智慧、神智(メッセージ)が神界(本心)から、降って来るのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。