五井先生の言葉
1.ある青年が、先生にこんなことをいっていた。
「何かでっかいことをしたいのです。何をしたらいいでしょう?」
「あなたは学生でしょ。学校で語学なら語学をまずマスターすることです」
「いえ先生、そんな小さなことはつまらない、世界人類のためになるものをしたいのです」
肩ひじをはっていいつづける青年をニコニコと先生は見つめながら、
「語学なら語学をマスター出来たら、その才能を活用して、世界平和の祈りの真理を翻訳して、外国に知らせることが出来るでしょ。
だからまず勉強することですよ。
それが今のあなたにとって、一番大きいことですよ」
青年は不服そうな顔をしている。
「大きいことが出来る人というのは、小さいと見えること、つまらないと思えるようなことも、コツコツと一生懸命出来る人です。そういうことが出来て、はじめていわゆる大きい仕事が出来るのです。わかりますか?」
青年は、うなづいた。
「目だたない仕事、つまらない辛い仕事をよろこんで引き受け、黙々と人にかくれて働くという心が、大事をなす青年の必須の条件ですよ」
青年は納得して帰っていった。
青年時代というものは、一歩一歩確実に前進してゆくことより、一足とびにゴールのテープを切りたがるものである。
千里の旅も一足から、という諺の通り、一足一足が千里の旅を完了させてくれるのである。
何々のため、何々のため、というけれど、ため為といっていて、本当にそのこと自体のためになったことはないようだ。
世界人類のため、人のため、というけれど、本当は自分のためなのである。
否、自分のためでもない。
与えられた仕事を一生懸命やっていれば、それが人々のためになっている、という姿が一番望ましいわけだ。
しかし、何々のため、という目標がなければ、誠を尽して目の前の仕事はなかなか出来るものではない。
だから、それを行じていれば、知らぬ間に人類のためにもなっていれば、自分のためにもなっているというものが、是非とも必要なのである。
こうした微妙な心の動きを理解して、満足させつつ、巧みに神一筋に昇華させてくれるのは、世界平和の祈りより他にない、ということを先生と青年の会話を聞きながら思ったものである。
2.最近、学校拒否、学校嫌いが大変ふえているという。
そういう子供の相談が、しばしば持ちこまれてくる。
編物や踊りなら喜んで行くのに、学校となると急にお腹が痛くなったり、起きられなくなったりするのだという。五井先生はこんなことをおっしゃっていた。
「猫もしゃくしも学校学校というのが現代の風潮だが、高等学校を出なければ女の子はお嫁にいかれない、大学を出なければ男の子は出世出来ない、という社会機構は間違っているよ。
大学は大学でよいけれど、中学校を出たら、自分の好きな科目が自由に研究、実修出来る職業学校のようなものをつくるべきだ。
その学校は特種学校になるだろうけれど、特種学校でありながら、ふつうの学校と同等の免状、資格がもらえるようなものにすべきだ。
そういう学校が出来なければ、ますます画一的な人間が出来るばかりだし、学校拒否症なんていう子供がふえてくる。
楽しくいける学校、そんな学校が各県に一つでもあれば、拒否症も随分へるだろう」
感想
1.今、サービス業、コンビニやレストラン居酒屋などで働く若い人が減っているという、少子化で子どもの数が減っていることもあるのでしょうが、それにしても若い人たちはどこでアルバイトをしているのかな?と思ってしまいます。
先日学生のときにありとあらゆるバイトをして、大学卒業と同時に起業したという若者がいると聞いたのですが、この若者は失敗する可能性は少ないと思います。
起業した新規事業のうち5年以内に96%が失敗するらしいのですが、4%の中に入ると思うのです。
それは商売という空気が読めるからです。人の機微、気持ちがわかるからです。
数多くの人と接することで観察力、洞察力がついてくるからです。
偏差値の高い学生よりも、どれだけたくさんの人とコミュニケーションを取ってきたか?
企業の採用基準も変わってきているようです。
2.少子化に伴い、大学の40%が定員を割り、赤字経営になっているそうです。
18歳になって働くのが嫌だから取りあえず「大学にでも行っておくか」というのはあまりにも短絡的です。
それも奨学金を借りてまで無理をしてゆくと大きなリスクを背負うことになります。
卒業と同時に返済を迫られるからです。
就職できなかったら、就職してもすぐにやめてしまったら、即借金地獄、または保証人になった親も共倒れになる可能性があるのです。
定員割れには、いろんな要素が絡んでいるのかもしれませんが、大学離れであるとしたのなら、よい傾向だと思うのです。
これから個性的なユニークな専門学校が増えていくそうです。
社会に役立つ人間作りをして欲しいですね。