神さまの喜ばれる自然法爾(五井先生ご著書『大決意』から抜粋) | グッドムーンのブログ

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【神さまの喜ばれる自然法爾】


(一)


本当に神さまのみ心が喜ぶことは

自然にわきあがってくる愛の心

自然にわきあがってくる明るい心で

人のため 社会のため 人類のために尽くすこと

そして

尽していることが

自分の家庭に対して

マイナスにならないようにすることです


日常生活そのままで

今日まで行なって来ている生活そのままで

夫にも尽し 妻にも尽し 子供にも尽し 

お互いに家庭で尽し合いながら

しかも

道のために働ける

人類社会のために働けるように

私はそう願って

祈りによる世界平和運動が生まれたのです


世界人類が平和でありますように

そう祈る時

自分の想いが世界人類の中にひろがってゆく

個人を通し 家庭を通し 

社会を通し 国を通し

ズーッと人類にひろがってゆく

するとその光が自分に返ってくるのです


善いことをしなければ

と焦らなくても

世界平和を願う祈りを重ねていると

いつの間にか

小さな小さな固まった人間じゃなく

個人の縛られた中で暮しているんじゃなく

大きな 自由な世界

宇宙という中で

ひとりでに善いことをしている

という状態になるのです



(二)


人のために尽すことはいいことです

徳を積むことなります

しかし

自分がやっているんだ自分はこんなに働いているんだ

と思っていると

徳を積みながら

その徳をけずっていることになります


何故かというと

自分自分といって

神さまから自分を離すからです

自分自分といわなくても

自然にいいことをし

自然に徳を積んでいれば

自然と積み重なってゆくので

神さまのほうでちゃんと徳を積ませて下さるわけです


われわれの運動というものは

地道に 地味で いいんです

派手で 人に目立たなくてもいいんですよ

家庭生活をこわさないで

日常のあたりまえの仕事をしながら

祈りによる平和運動に参加する

そして本や白光誌を読み

“ああこれから消えてゆく姿だなあ これはいいことに転化するんだなあ” と

自分の心を常に常に深めてゆく

深めながら

“ああこれはいいところだな 誰かに読ませたいな” と思ったら

“白光誌をお読み下さい” と

人にすすめる

いい教えをどんどん広めながら

自分が深まってゆく

自分が深まりながら広めてゆく

そこに

なんの不自由なことがなく

なんの把われもなく

なんの戒律もなく

自由に 自然にやっていける

これがわれわれの在り方です

 

(三)

神さま有難うございます という時

あなたは神さまの心 愛の心と一つです

愛の心と一つのあなたが

愛でない無慈悲の心を出すわけはありません


友人がお金を借りに来た

しかし自分にはお金がなかった

なんとかしてやりたいけれど

無い袖はふれないといった場合

あああの人に何もしてやれなくて悪かったと

あなたは思うでしょうね

そう思うのは良い心です

しかしそれがすぎてしまうと

自分を痛めてしまいます


あああの人のために

ああしてやればよかったのに 出来なかった

ああだめだなあ 悪かったなあ と思ったら

“あの人の天命がまっとうされますように” と

お祈りにかえてしまうのです

神さまにまかせてしまうのです

その方がお金を貸してあげるよりよい場合があります


何もかもみんな祈りにかえてしまう

祈りにかえるということは

自分の想いが

神さまのみ心の中に入ってゆくと同時に

相手の心も

神さまの中に入れてゆくことになるわけです

みんな神さまの中に引きあげることが

祈りなんですよ

相手の天命がまっとうされますように という時は

自分も引きあげられるし

相手の心もも神さまの中に引きあげてゆくのです

だから

みんな自分の天命を祈り

相手の天命を祈り

世界人類が平和でありますように と祈れば

みんなの想いが光に同化して

神さまの一番高いところに引きあげられてゆくのです

それが世界平和の祈りです


(四)

この肉体というのは

目に見えているけれど

実は本当にあるんじゃないんです

過去の因縁をたどってここに現わされている

現わされているだけのもので

過去のものなのです

過去の波動がここに肉体となって現われているだけなんですよ


今 生活して

今 なんか考えている

今 病気をしているとする

それはみんな過去のものが現われて

今 消えてゆこうとしているのです

この肉体生活を営んでいるということは

神さまのみ心をまっとうする

天命を果たそうとすると同時に

過去世の因縁を果し

消えてゆく姿にしているのです

両方が同時に肉体として現われているんです


だから

現われている事柄に対して

なんだ かんだと心配したって

苦労したって なんにもならない

それは過去のものだから

単に消えてゆくだけなんですよ

映画の撮影は終って

フィルムが出来上がってしまっている

あとは映画館かテレビで上映する

というところになっているわけです


じゃなんの打つ手もないのか

というとそうではなく

ただ一つある

肉体の自分の力でやるのでなく

守護霊さん守護神さんお願いします

と守護の神霊にフィルムの修正をたのむ

それしかないのです

だから

われわれのしなければならないことは

常に 寝ても覚めても

“守護霊さん守護神さん 有難うございます

神さま 有難うございます” といって

神さまの中に入り込んでしまうこと

神さまと一つになってしまうこと

一つになりながら

一生懸命 日常生活のつとめを果してゆく

それ以外にはないんです



(五)


ハッキリわかっていることは

人間は神さまの分け命であって

神霊の世界でいつも働いているんだ

光明燦然と働きつづけていて

そのあまりが肉体の世界へと来ているということです

肉体の世界はおまけです

おまけの生活をしているんです

今の生活というものは

過去で済んじゃっている

済んでしまったことのおまけが

ここに現われている

それで今 何をしているかというと

神霊の世界に徳を積んでいらっしゃるのです

やがて神霊の世界へゆきます

皆さんが祈りによる世界平和運動をやっていることは

神霊の世界に光を積み 徳を積んでいることです

毎日 毎日の世界平和の祈りによって

どんどん積んでいます



  

『大決意』 五井昌久 白光出版