真理を述べていると「やっと今までわからなかったことが腑に落ちました」「霧が晴れたようになりました」「これで明日から明るく生きていけます」・・・・
とまるで清涼飲料水を飲んだ後のような、これで「すべてを悟った」ような気持ちになる人もいれば、このまま頭で理解する、腑に落ちるを続けていけば、悟ったのと同じ境地になると思い込んでいる人が多いのです。
申し訳ないのだけれど、私は調子のいい人を信用していないのです。
頭や理屈でわかることももちろん大切です。
今までマイナスだと思っていたことがプラスに転じる、心にひっかかっていたことが霧が晴れたようにわかったのだから心の中で奇跡が起こったのと同じような気持ちになるからです。
だがしかし、そこから一歩も前に前進(実践)しないで、そこで満足している人は、なかなかほんとうの幸せ、安心立命をつかむことは難しいのです。
なまじっか真理を少し知ったがためにかえってかなり遠回りすることになります。
生悟りの状態です。
私は、友達にもなっていない、なんのコメントも無く、イイネもしていないけれど、毎日欠かさずに読んでくれていて、
ある日突然、「よし、これはほんものだ、生命をかけて世界平和の祈りを祈ろう」と思ってくれる人が現われるのを待っているのです。(期待はしていますそのために書いているのですから)
その人は自ら進んで我即神也、人類即神也の印を組み、マンダラを描き、神人(しんじん)になるのです。
私とはこれから1回も会うことも無く、一生知らないままになるのかもしれません。
それでいいのです。私は真理のメッセンジャーです。
最終目的は、本気モードの3万人の神人がパワースポット(光の柱)になることです。
それしかありません。
個人的な幸せは、人類そのものが平和、調和、愛にならなければ成り立たないのです。
自分や自分の周りだけの幸せだけを祈っているときではないのです。
祈りしかないのです。
徹底した祈りの世界
死後のことや、生まれ変わりのことや、神霊の世界のことを、肉体身をもったままで知り得た人は、みな徹底した祈りの生活からそうなり得たので、知識だけでなり得た人はありません。
知識の上で神の存在を知り、神との一体化の大事なことを知り、永遠の生命の中に人間の心を投入しなければならぬ、ということを知っても、そこに祈りの行を加えないで、そのまま知識の上だけのことになり、実際には永遠の生命も、個人生命の行方も判らずじまいになってしまい、観念の上だけの悟りに終ってしまうのです。・・・・・・
「真の幸福」五井昌久著 白光出版