頭で想うこと、心で思うこと
実はこれが全然違うのです。
ほとんどの人は頭に浮かんだことを口に出して話しています。
ところが頭はたくさんの人の想い(集合意識)やマイナスの想念が容赦なく入ってくるところなのです。
だから、周りの集合意識が怒りの感情的なものが多ければ、自分もついつられて腹が立ってしまうのです。
この場合の想いとは相手の心と書きます。
つまり自分の本心から出た思いではないのです。
人間のほとんどの人は他人の影響を受けて話しています。
そして想いの中には前世で自分が想っていたことが録音されていて、今、再生されて時を経て想いとして浮かんで来るのです。
要約しますと、今、自分が想っていることとは周りの人の想いと人類の集合意識、そして自分の過去の想いがミックスされているのです。(人それぞれ個性が違う)
次に、心で思うとは周りや集合意識に惑わされない本心のことです。
本心とは神界にある本当の自分の心のことです。
それもずっと心の奥に入っていかないと本心までは届かない・・・・・。
自分の本心と肉体の吾が繋がることを悟るというのですが、この悟る状態になるには大変な努力が必要とされました。(お釈迦様はこの境地(空)になるためのメソッドを弟子たちに伝えました)
つまり、自分の今、想っていることはほとんど自分の本心から出た思いや感情、言葉ではないと判断して間違いないのです。
人間は神である自分(本心)と感情的(動物的)になった自分が入り交ざっているのです。
人間とは神と動物(感情)の間という意味です。
まさしく、人間は玉石混交(ぎょくせきこんこう)になってしまっているのですね。
玉=神の部分を多く顕している人は極少であり、石(悪い自分)がほとんどの人、半々ずつの人など地球上にはいろんな人が同居しています。
自分が玉(神)、本心を顕わして自由自在心(幸せに)で生きようと思うのなら、頭で考えることを停止して本心と繋がることです。
お釈迦様は心の奥に深く入って本心(宇宙)と繋がることを説きました。
私がいつも言っている世界平和の祈りは本心がある宇宙と共鳴して繋がるためなのです。
本心とは光輝いてそれはそれは美しい心です。
人間は悟るという境地にならないと安心立命せず、ほんとうの幸せ感は得られなくなっています。
肉体を持って地球に降り立ったのは、真理(我即神也)に気づいて、ほんとうの自分(本心)を顕わすためだからです。
それが最終目的なのです。
お釈迦様の時代と違い、人間は悟りやすくなっています。
それは、世界平和の祈りが生まれたからです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
わたくしたちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
追伸・・・頭に浮かんで来る想念に把われないで、悪い想いも善い想いもすべての想いを世界平和の光の溶鉱炉の中に入れてしまうのです。
するとマイナスの想いは消え、神界から光輝いたエネルギー(ヒラメキ、神智、メッセージ)が降りて来るのです。(悟った状態)