相手の “ものさし” を理解する | グッドムーンのブログ

グッドムーンのブログ

真理を伝えてゆくことが私のミッションです
そして、良質な水素ガス吸入器を販売、アフターフォローをしています ご興味のある方はご連絡ください
goodmoon51@yahoo.ne.jp
篠崎携帯08014440018
水素と健康ブログ https://ameblo.jp/hamony51/
Facebookは篠崎朗で登録

 

わたくしごとですが、昨日中学、高校時代の友人と “飲み会” をしました。

私にとってこの飲み会(2、3ヶ月に1回開催)は、気心の知れた仲間たちと過ごせる至福のときなのです。

同じ時期に同じ中学同じ高校に通っていたというのは、確率的にも

奇跡であり、その人たちとは縁が深いのです。

親子や兄弟よりも縁が深い人たちもいるそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな友人たちも 当然違う人生を歩んでいます。

考え方、感じ方、思っていることも全然違います。

違って当たり前なんだけれど

なぜか

同じ考え方だったり、感性が似ていると嬉しくなるのです。

「やっぱりお前は親友だ、オレの気持ちがわかってくれる」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“自分のものさし” と “相手のものさし” が同じことが良いことなのだと思ってしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だけど そうじゃないですよね

違いを認めて

「ああ、そんな考え方もあるんだ」

育った環境、生きてきた道程を聞いて

「そうか、そんなことがあったのか、だからそう思うのか?」

・・・・・・・

お互いに判り合えて

気持ちが一つになれる

そんな “飲み会” をこれからも続けて行きたいと思っています。





相手の “ものさし” を理解する




インターネットである話を目にしました。

ある老人が物置で昔の物をいろいろ見ていたら、自分の古い日記と、当時小学生であった

息子の日記が出てきました。

たまたまその日記の時期が重なっていたので、老人は、自分の日記と息子の日記を

照らし合わせて読んでみるのです。

すると、自分の日記には

「息子と釣りに行った。 何も捕まえられなかった。一日無駄にした」 と書かれていました。

しかし、同じ日の息子の日記を見てみると、そこには

「お父さんと釣りに行った。 今日は人生で最高の日だった!」 と書かれていたのです。

それを見た時に、老人は自分の感想とは全く違う息子の純粋な日記に胸を打たれた、

というお話でした。

それは、私の中でもとても印象的なお話でした。

私たちは皆、自分の “ものさし” を持って生きてます。

その “ものさし” で私たちは自分の悲しみ、喜びなどを計ったり、あるいは、それを

自分の頑張り、努力の基準にしたりするのです。

この “ものさし” という基準が存在しているから、自分はこういう場合悲しむから

同じく人も悲しむだろうとか、自分だったらこれくらい努力するのに、

あれくらいで弱音を吐いている部下はまだ甘っちょろいとか、あるいは

私はこうされたらとても嬉しいから相手にもそうして喜ばせてあげようなどと

私たちは思うのです。

しかし、私たちが忘れてならないのは、この “ものさし” は、自分の性格や実体験が

基となった自分自身の “ものさし” であるということなのです。

いくら自分の “ものさし” で人を計り、喜ばそう、理解しようとしても、人が違えばその

“ものさし” も変わってくるということなのです。

大切なことは、自分の “ものさし” を通して人を見るのではなく

相手の “ものさし” を理解して、それに合わせた行動を取るということなのだと思います。

最初の例で言うと、老人は自分の “ものさし” では釣りを重視している。

だから魚が釣れなければ一日が無駄だということになったのだと思います。

しかし、だからといって、息子も無駄だと思っただろう、ということにならないのです。

息子の “ものさし” では、父親と釣りに行けることが喜びだったのです。

その “ものさし” で見れば、魚が釣れようが釣れまいが、全く関係なかったのです。

自分の “ものさし” がすべてだと思ってしまうと、多くのズレや誤解が生じる原因に

なってしまいます。

人と向き合う時、相手がどのような “ものさし” で世界を見ているのか。

喜びを感じているのか。

物事を理解しているのか。

それに向き合うことが大切なのだと思います。
 

 

人類即神也



 

         西園寺 由佳