リビドーによる固着が存在するだけでは、発症には至りませんが、
以下に述べるような状態で、精神の固着への退行が起こったとき、
神経症が発症する場合があります。
たとえば、15歳で発症というような場合、
それ以前から、何かしら苦悩(葛藤)や、強いストレスがあって、
自我もエネルギーを使い果たし、相当に疲れきっていたはずです。
それでも自我は、自分の使命(エスを満足させること)の為に、
あらゆる防衛機制を駆使して、なんとか現状の打破を目指します。
しかし、さまざまに手を尽くしても「どうにもならない」と、なったとき、
自我は今までに感じたことのないような強い不安を感じます。
「いよいよマズいな。現実では解決できないや(++;)」と、強い不安を感じ、
(自我が)最終的な手段として過去へ後戻り(退行)します。
退行は、第一部の『防衛機制のいろいろ』で述べましたように、防衛機制の一つです。
他の防衛機制が、自分の外部で現実的な解決をしようとするのに対して、
この退行は精神内で解決しようとする(満足を得ようとする)特殊な防衛機制と云えます。
つまり、上述のように、さまざまな防衛機制を尽くしても現実解決が難しいと判断されたとき、
自我は精神内部に救いを求めて退行を使うわけです。
しかし、この防衛機制(退行)には問題があります。
それは、癒しを求めて退行する先が過去の固着(幼少期)であり、
そこで自我自身が変化をしてしまうことです。
そう、幼少期に退行することによって、自我自身が「赤ちゃん帰り」してしまうわけですね。
もし、そんな形(完全なる赤ちゃん帰り)で欲求充足を許してしまったら、どうなるでしょう?
非常にマズイですよね。
もちろん自我としては、これがあまり上等な手段だとは思っていません。
なにしろ退行は「いよいよマズいな。現実では解決できないや(++;)」
の果ての、仕方なくの苦肉の策(妥協策)ですからね。
しかしそれでも、自我としては上手くやっているつもりなのです。
どういうことかと云いますと、自我にしてみれば、いまある不安や苦痛を取り除くことが使命なのですから、
癒されるであろう古傷へ逃げ込む(退行する)ことで彼は一応の仕事は果たしているわけです。
現に、症状と云う別の辛さが発生したとはいえ、現在の辛い気持ちや、苦痛は回避できたわけすから、
そうした自我の苦肉の策も成功と云えなくもないのです。
もし症状が消え去れば、また現実の不安や苦痛に引き戻されるわけですからね。
なんとも皮肉な話ですが。(^^;)
そこで(妥協策として)姿カタチを変えて現れてくるのが神経症の症状です。
つまり、15歳なら15歳、30歳なら30歳の姿を維持する代償として、症状を持つわけです。
しかし幼児期への退行であることには変わりはありませんから、精神的な部分に、
子どもっぽい弱さや、考え方が出てしまいます。それが神経症が治りづらいと云われる
原因のひとつです。(このことは、また後述します)
ちなみに、他の精神障害(躁鬱病や、統合失調症など)も、同じメカニズムによって
起こると云われています。
ちなみに、非行などの問題行動も、この固着への退行によるもの、と云われています。
つまり、乳幼児期に退行することで、精神活動も赤ちゃんの行動に戻る為に、社会性が無くなるわけです。
たしかに、そうした観点で見てみると、問題行動を起こす彼らは幼い駄々っ子のようですよね。
※神経症者にしてみても、症状の辛さもありますが、我慢や協調性がなくなり、幼児のような振る舞い
になるのはこの為です。