鬼怒川温泉郷の朝。例によって中日はレンタカーを借りて、俺だけ単独行動。とんでもない婿養子だ。

日光の世界遺産群をすっ飛ばして、来てみたかった足尾銅山関連の遺構。こちらは足尾銅山記念館。建物は復元だが、ご存じ辰野葛西事務所設計。ホンモノは元々銅山会社の本屋(ホンオク)だったが、豪華過ぎて労働者の反感を買うことを恐れ、足利市庁舎として廉価で移築した後、取り壊された(大暴動もあったらしい)。

坑道の全容。総距離は1,200km以上で東京〜福岡間に匹敵するそうだ。

江戸期には殆ど掘り尽くされたと考えられていたが、古河市兵衛が所有して掘り続け3年、ついに鉱脈を発見して明治17年に生産量日本一となる。

でも何でこの山、備前楯山って言うのだろう。調べたら、1610年、この地で最初に銅鉱石を発見した農民が備前出身だったらしい。

市兵衛の人生訓?運・鈍(謙虚さ)・根(気強さ)の扁額。まあ何事にもその通りだよね。何処に掲げられていたものだろうか。

安全専一(第一)、日本ではここ足尾銅山で初めて掲げられた標語だそうだ。この後実際に古河関連の工場で大きなプレートを見た。その他、銅山やその町で、数多くの「日本初」が生まれている。

教科書ではほんの数行、公害関連の記述しか載っていなかった記憶だが、近代産業の発展に欠かせない歴史の一部だったと知る。

粗銅インゴットの実物。酸化してこんな色になるのかな。山一の商標はもしかしてと思ったが、古河財閥と山一證券は関係無いらしい。

鉱害関連の展示説明に1室使われていた。立地と地形が被害を拡大させたらしい。田中正造が正義のヒーローで古河市兵衛が資本主義企業悪の権化みたいなイメージだが、そう単純な話でもあるまい。

ただやはり古河グループ側の施設だからか、被害内容や抗議運動の詳細な説明は余り無かった。

しかしちょっと衝撃だった。これだけの系譜の広がりを持つ古河系企業の(ほぼ)起源が、足尾銅山にあったなんて。企業史も面白いと最近思う。

馬車鉄道が引かれる前は、普通に馬で運んでいた。

その馬頭尊。犬もそうだが、馬も人間の歴史と切り離せない。

旧渡良瀬橋。改修を重ねてはいるが明治期の建造。渡良瀬の地名も渡瀬川も、ここが発祥らしい。

足尾は急峻な地形で橋が多く架けられ、橋の展示場と言われた。

うーん、この長屋はもしかすると、昭和の鉱山時代の社宅とかかなあ。

間藤駅から見つけた、どう見ても明治大正期の良さげな建物。近づいて見たかったが、やはり古河系企業の敷地があって叶わなかった。気になる。

こちらも間藤駅から直ぐ、鉱山操業向けの電力を作った間藤水力発電所の鉄管現物。日本初と書いてある。元からこの場所に設置されていたのかは分からず。

発電所跡と看板があったが、この人工物が名残りなのかなあ。それらしい平地は無いようだが、対岸の建物のことかなあ。

ここに割烹旅館があったのか‥。

今は昔、栄枯盛衰。山あいの人工集落は役目を終えれば簡単に消える。

間藤駅から先は廃線になっていたが、こちらのやはり古河系工場は健在のようだ(門扉には社名が掲げられていたが、本山製錬所跡と言う指定史跡になっているらしい)。随分ディストピア的景観だったが、廃止になった足尾本山駅含めて、中には入れなかった。

紅葉と、所々トタン?が吹き飛んだ建屋。キレイだ。

かつて人が住んでいた頃には、当然生活があり信仰・祭りがあり、唄や踊りがあった。

これがあれかな、大正期に煙害対策で高い煙突を建てたけど、高さが出た分かえって広範囲に広がってしまったって言うヤツかな。分からん。

所々植生の再生が進んでいるように見えるが、この辺り鉱害で殆どハゲ山だったらしい。不謹慎かも知れないが、かなり面白い遺構群だった。