宿から沢伝いの断崖を300m下り、初代北陸本線の親不知トンネルへ。怖過ぎて入り口だけ見物。父に見せれば、どこのトンネルか一発で答えるだろう。

1965年まで現役だったんだ。

反対側のこちらも、中々の趣きだ。こりゃ凄い。

更に階段を下り、松尾芭蕉が通ったと言う海岸。江戸大名も現代YouTuberスーツ氏も通った。しかし、当たり前だけど岩石が全て丸っこくてかわいい。

天険、親不知子不知。第一世代は海岸沿いの、道路とも言えない崖っぷちを歩き、第二は明治期の今私が立っている道、第三は国道8号、第四が高速北陸道。

で、第一世代の時は、親は子を、子は親を互いに構ってられない程困難な道程だったと言う事で、この地名がついたらしい。

ブラタモリの親不知・糸魚川回は今も覚えている。スケールが壮大で、所謂神回だった。

親不知が何故断崖絶壁になったのか、と言う説明。

凄いなあ。凪いでいれば大した事ないと思うが、幼な子の手を離してしまった母親の、慟哭の歌を何かで読んだな。でも船で行こうって発想にはならなかったのか‥?

カッコイイ‥。第二世代明治期の国道に刻まれた「如砥如矢」の文字。砥の如く滑らかで矢の如く真っ直ぐ。

当時の技術職の溢れんばかりの自負が地面から湧き上がっている。

この奥の石柵が明治期のものだろう。

来たかった場所に一つずつ来られている幸せ。

市振駅、ランプ小屋。やっぱり明治期は色んなモノが小振りだと思う。でもこの軒下の意匠は目を引く。もみじ蛇腹積と言うらしい。

駅舎にあった謎レール。穴が空いてるけど絶対レール。何故埋め込まれているのか。

何のヘンテツもない田舎駅舎だと思うが、有形文化財らしい。瓦屋根は珍しいか。

なるほど。

待合室を出てすぐ踏切と言うのも、余り見た事がない。いい風景だ。

墓ではない。何でしょうなあ。使われなくなった線路が草むしていた。

市振の関所跡に向かっていたら、境川を通り過ぎて越中国富山県側の関所跡に来てしまった。

逆戻りして市振の関所跡。

陸も海も山から監視し、重要な関所だったとのこと。

昭和のホラー漫画のような字体だ。上辺がウネっているのは波を表しているのだろう。

えちごトキメキ鉄道。何で電化されているのにディーゼル?調べたら、糸魚川の交直セクションの関係らしい。両方に対応するより、両方に対応しない方が経済的と言うこと。なるほどねえ。

北陸道が海の上を走る。断崖絶壁の交通の要所。

親不知ピアパーク。ピアは橋梁の意味で、北陸道の下に作られた。

ピアパーク内の翡翠ふるさと館。

室内展示では世界最大級で、盗掘から守るために山奥から運んだ。え、これ運んだの?

おぉ、この辺りは確かに翡翠。

世界に翡翠産地はいくつかあるが、そのうち翡翠文化圏を形成したのは、日本とメソアメリカの2地域だけらしい。この後行く寺地遺跡と長者ヶ原遺跡の説明があった。

寺地遺跡は巨木柱跡があった。三内丸山へと続く文化圏。

朝メシ、名物たら汁。質素に見えるが旨い。