連休最終日でどうせ新幹線も混んでるだろうから、プラプラしながら帰ることにした。まずは阪急西山天王山。「天下分け目の天王山」の語源はここか。
徒歩すぐ、西国街道と丹波街道の分岐点だったらしい。なるほど、頭上にも現代の追分、高速の巨大JCTがある。
だから丹波方面への高速バス停があったのか。歴史は大いに重なっている。
高架下に弥生期の硲遺跡。
最初の立ち寄り地、山崎古戦場跡。
小泉川を挟んで、奥側が中国大返しから爆速で戻った秀吉軍、手前が本能寺で信長を打って天下人に名乗り出た明智軍。
しかし明智軍は多勢に無勢で敗北。本能寺の急報から大返しを経ての鮮やかな勝利に、裏で外国キリスト教勢力が糸を引いていた、って言う陰謀論があるとか。
こっちにも行きたいが、今日は飲めないなあ残念だなあ、
とか呟いてたら、目の前を瑞風が通った!ラッキー。
秀吉も飲んだと言う地下水で一服。ヌルい。
山崎駅。3月に来たとき、あったかな?
同じ方向から、停車しようとする列車と爆速通過列車が同時に来てビビった。複々線だ。
おぉ〜、カッコいい。前面のデザインと色が良い。
米原の鉄道技研風洞技術センター内にある高速試験車両保存場。WIN350
こちらはSTAR21、仙台で見たやつか。東・西・東海の試験車両が揃っている。
また少し、東海道線に乗って関ヶ原へ。
関ヶ原の背景とか、何で東西に分かれたとか全く知らなかったが、とても分かりやすい説明だった。正面奥が西軍石田三成の陣跡。豊臣側の忠臣として描かれていたが、仮に豊臣政権が続いたとして、その先に思い描く世界観はあっただろうか。
こちらは裏切りの小早川秀秋陣の松尾山。秀秋は秀吉の養子だったんだ。家康に宛てた書状に「二日酔いです」と書かれたものが展示されていたが、晩年はアル中で内臓疾患で亡くなったらしい。
戦況の膠着に業を煮やし、この辺りまで本陣を進めた家康。これを見てか、東軍寝返りを逡巡していた小早川がついに西軍大谷吉継に攻め入る。
家康陣の幟。意味不明。闘いを終わらせて平和な世を築こう、だっけ?
徳川泰平約260年が、明治期以降も含めてこの国に与えた影響を考えると、正に国の形を決定付けた戦だったんだな。
こちらは最終局面決戦の地。西軍島津義弘の豪快敵陣突破退却が好き。決戦中は専守防衛で敵味方関わらず近付く奴を撃ちまくってたらしい。何のために参戦したんだ?
石田三成陣跡。
登ってみた。兵どもの〜。
島右近陣跡の再現防御柵。中近世にも興味が出てきた。
多分、旧東山道。積雪が多いんだろう。新幹線も関ヶ原だけは弱い。
壬申の乱後に設けられた不破の関。資料館があった。
どう見ても民家の敷地だけど、資料館の方が入って大丈夫と言うので闖入。
この辺りから大海人皇子は指揮を取っていたらしい。皇子が兜を掛けたと言う石。そろそろ帰るか。



























