糸魚川市街に戻り、寺地遺跡。縄文中期〜晩期。
正方の再現巨木柱。国内で初めて発見された巨木柱跡とのこと。きっともっと高く聳えていただろう。
この遺跡全体の形状が、勾玉や人間の胎芽と同じらしく、集落の作り方から信仰が見て取れると言う説。肯定も否定も出来ない。
糸魚川・青海産の翡翠勾玉が、出雲大社横の命主社から出土したらしい。当然繋がりはあるだろう。
この変色部分が配石跡。
続いて丘を登り、長者ヶ原遺跡。同じく縄文中期〜。
全国各地で見て来た翡翠製品が、この辺りで作られて運ばれたんだ。記憶を辿る。
長者ヶ原考古館
住居の入口に甕を突き破らせた石棒と石に被せた甕が埋められていた。昭和初期まで胎盤を埋める同じような風習が残っていたらしい。近代まで続いた風習が縄文に遡るとは凄いが、その意味は何だったか。説明にあるような、単に子どもの成長を祈った程度のものでは無いと思う。
長者ヶ原出土の土偶レプリカ。本物は東京。頭部は欠けているが、カッパの様に頭部が窪んでいるのはデザインらしい。益々分からん。
出土状況。
三内丸山出土の糸魚川産大珠。
縄文早期前期の玉。
同晩期。今の貨幣価値にしたらどのくらいなんだろか。












