横浜開港資料館隣にある日米和親条約締結の碑。

再来日したペリーを、この辺りに急拵えの応接所を建てて出迎え、締結した。ここから現代まで続く、愛憎極まる対米関係が始まった。

上陸は、資料館正門のこの辺りだったらしい。

で、有名なこの絵図の右手に描かれているタマクスの木。この子孫?が今面前にある木だって。へー。

資料館内は撮影禁止だったが面白かった。

明治期の下水管。当時は何でも煉瓦造りだったんだな。

雨水で良く見えず。

旧横浜正金銀行本店、現神奈川県立歴史博物館。

ここまで立派ではないが、洋風重厚な建物が横浜には多い。

横浜正金銀行って地方銀行だと思ってたが、とんでもない勘違いだった。世界中に支店を持つ、貿易・金融面での日本の基幹銀行だった。

旧石器時代の落とし穴。

おやこんにちは。

はいこんにちは。

江戸期の各種手形。

切支丹禁制の高札。密告したら褒美をやるぞ的な。初めて見た。

正金銀行で使われていた天秤。

ペリー艦隊旗艦、ミシシッピ号模型。

船着場の正面に税関が構えたんだ。


五姓田義松と言う、埋もれていた最初期の日本人洋画家の作品群。

もちろん浮世絵より写実的で、生活感が分かり易い。美しい。

関東大震災で、中に入りきれなかった人々が銀行の周囲で焼け死んだらしい。

近代日本の大体の都市は、何かの震災と空襲から立ち直って今がある。