長久手古戦場。
20年くらい前に、友人を訪ねたツイデに来たのはここだったかなあ?記憶にない。
勝入塚。秀吉方の武将池田恒興の塚。
新たなガイダンス施設を建設中との事。総工費5億円って書いてあったか?
戦局の推移を学ぶ。
長久手市は亜炭採鉱が盛んだったとのこと。
こちらは色金山、家康側の陣があった場所。
その家康が腰掛けて軍議をしたと言う床机石。
流石に座るのは気が引けたので、触るだけ。
当時も木々は生えていたと思うが、やっぱり切り倒したのか。せっかく丘の上に陣取っても見渡せなかったら意味がない。
続いて、桶狭間古戦場公園へ。
小中学生が沢山遊んでいた。スマホでw
今川義元墓石。地中に埋まっていたのが昭和になって偶然発見されたとのこと。
「桶狭間古戦場」で「場」は地面下か。
元々激戦地と伝えられたこの田楽坪と言う土地でこの碑が発見され、義元の終焉地か古戦の中心地か、と言う事になったらしい。碑文は1816年で戦いが1560年。約250年の開きかあ。
信長と義元像。近世の曙とあった。
清洲城を出て熱田神宮で祈願し、この地で激突。知らぬ間に、桶狭間の織田軍ゆかりの地を巡っていた。
信長の機を逃さない行動力と、天が味方したとしか思えない落雷による今川軍の混乱。歴史は誰が動かしているんだ。
今川側が陣取ったおけはざま山の古き遠景。今は住宅地。
戦場に駆り出される人々はどんな気持ちで戦ったのかな。