清洲城直ぐの朝日遺跡。
東日本最大級の、とてつも無く広大な集落や墓域があった。
で、面白いのは縄文系の集団と弥生系のそれが、川を挟んで隣接してたと。
徐々に西から東へ弥生人が縄文人を駆逐・同化していったとイメージしていたが、ちょうどその境界だったのか。
初めて見た、円窓付土器。
何のための穴なのか分かっていないが、案外「そろそろ煮えたかな?」とか確かめる穴だったんじゃないか。
こちらも初めて聞いた「パレス・スタイル土器」。ギリシャの神殿から出土した土器と似ているからとのこと。
銅鐸型土製品。
銅鐸も製品だけど、それをまた土でミニチュアにしたのが面白い。
隣の貝殻山貝塚。
貝塚が3つほどあった。
高速道路建設に伴って発掘された方形周溝墓群や逆茂木は、再び地中へ。清洲ジャンクションの下に一箇所だけ残っていると、職員の方に教えて頂いて来てみたが、これ以上近づけず。でも何か説明版があるな。
旅っぽくなってきたぜ。