青函連絡船メモリアルシップ、八甲田丸。

煙突にはJNR(国鉄)のロゴが。そりゃそうか(廃止間際のごく短期間、JRマークになっていたが、保存に当たって元に戻したらしい)。

操舵室。

冬季は煙突の展望台には上がれないらしい。ブリッジからの展望も悪天候で見渡せない。しかし何て郷愁を誘う景色だ。脳内は石川さゆり鬼リピ。

操舵室に金比羅様の神棚があった。海上交通の守護神。大物主との習合云々は、ややこしいから割愛。

す、凄い。キハ82系。

車両はもちろんだが、レールも当時のものだろうか。鉄道車両をそのまま船に乗せて運ぼう、って言う発想も凄い(実際には貨物輸送がメインで、キハ82は運んではいないらしい)。

こうやって固定。

エンジンルーム

可動橋が一部保存されていた。

いやー、超面白い。

北へ帰る人の群れは誰も無口、だったのかな。

そう言えば、「連絡船がなくなるから」と親族旅行で函館に行ったと物心ついてから聞いたな。この船にもしかしたら乗ったのかな。4歳くらいか?

可動橋線路の反対側。当然ここも廃線跡。今は昔。ワ・ラッセや林檎の専門店が建っている。

制空権を取られて、なお航行していたのは無謀か、戦時下のやむを得ない事情か。

風化を危惧して碑を建立したとの事だが、現代でこの碑文を読む人間は僅かだろう。合掌。

そして洞爺丸事故などを経て、青函トンネルが開通する。

青森駅跨線橋から。

そう言えば、青函連絡船を復活させる話もあるらしい。青函トンネルを新幹線の旅客輸送専用にして、貨物は船で、と言う発想だ(今は貨物線との併用の為、新幹線速度に制限がある)。

鉄道輸送全盛時代の跡。

JR貨物としては、ドル箱路線の青函間を現状所要1時間のところ4時間近くになる航路に切り替えるのはあり得ない。

であれば、トンネルをもう一本作っちまえ、と言う政治家もいるらしい。これも、今の青函トンネルは当時の技術や人的資本で奇跡的に完成出来たもので、現代では作れないだろうと、トンネル専門家の父が言った。そうか、この国は衰退しているのだ。

おかげで土建屋から干されてるって笑