県内住みで、今までここを訪れていなかった事を恥じた。

特別史跡、加曽利貝塚

この無数の貝類全て、縄文人の胃袋に入っていたかと思うとオモロい。

出雲から諏訪、三内丸山へと続く巨木利用の形跡は見つけられなかったけど、糸魚川産の翡翠は新潟→諏訪→山梨を経て東京湾沿岸集落へ来ていた。

現博物館。例によって、展示は地元小学生向け。

行くところ行くところ、博物館新設の計画があるが、ちょうどそう言う時代の節目なのかも知れない。

水飲み場は土器。

乳房と男性器の3点勃ちの土偶もあったが、どんな意味だろ。

貝塚は、ただのゴミ捨て場ではなかった。

貝塚を丁寧に掘って、遺体を埋葬していた事から分かるらしい。

何故か、それを知って泣きそうになった。


もちろん、発掘された遺体で最も多かった年齢層は乳幼児。ボランティアさんのガイドを盗み聞き。気の遠くなるような命の積み重ねが私であり、息子であって。

雑草ボーボーの園内も、下を向けば貝殻。

ロマン。

最近は、こうゆう展示側の設備が気になる。

発掘現場か。

30代最後の年も、旅に恋焦がれ、悶え。