高良山麓の祇園山古墳。

高速道横の宅地の細道を登る。住民の怪訝の目にはもう慣れた。

そしてこここそ、卑弥呼の墓と推測する研究者(かの宝賀先生も)もいるから見に来たが、

大きさも全然違うし、まあ間違っているだろう。でも、

磐井の乱後に子(息子?)の葛子が、博多湾岸の糟屋屯倉を献上して死罪を免れてる事から、その勢力圏は九州北岸まで及んでいた事が分かる。そして、この地域関係と同じ事が数百年前の邪馬台国と奴国など九州北岸の国々との関係にも言えるかもしれない。

少なくとも今回、北部九州に止まらず、久留米・八女地域、更には有明海沿岸・熊本地方まで、連綿と古墳や弥生遺跡群が続いている事が体感出来た。

幻の邪馬台国は何処に

博多に戻る。最後の目的地、板付遺跡。弥生館とムラは時間切れで閉門。

小学生の時に習った地名だ。

人は何に興味を持つようになるか、分からないものだな。