北島国造館。

天穂日命から数えて現在80代目(千家家は84代)

50代くらいの時に跡継ぎ騒動で千家国造と分離し、偶数月奇数月で大社の祭祀を交互に担って来たが、明治政府の一社一宮司方針でその地位も失う。その後、出雲教を立ち上げた(千家家は出雲大社教と言うのがまた別にあるらしい)。

現在の諏訪大社の宮司も北島国造の出だとか。守矢さんの事もご存知で敬服。

命主社。

この奥から、弥生時代の勾玉とかが出土している。出雲大社遺跡と言って、境内全体が縄文後期からの祭祀遺跡になっているらしい。

数千年変わらず、同じ土地の上で神々を祀っているのだ。

由緒ある寺社仏閣家柄にしか、この塀の5本白線は引けないらしい。誰が決めたことか知らないが。戦後の成金が7本線引いたとも。

上皇后美智子様が詠んだうた。

争う事なく国を譲った大国主の功績を称えているが、実際にはどうかな。

「国譲り」と言う単語自体は記紀には出てこない後代の造語だし、相当な武力衝突はあったと思う。しかしガイドさんが居なかったら、こんな碑読めないし気づきもしないだろう。実際初めて目に入った。

銅鳥居。雨天も幽幻でまた一興。

刻まれた雲陽大社はもちろん、ここ出雲大社のこと。

その上に素戔嗚の名があるのは、中世神仏習合で主祭神が素戔嗚(牛頭天王)なっていた時期があったらしい。本当に歴史を知ろうとすれば、文献読解が出来るようにならないとダメとは思うが、出来る気がしない。高校の古典をちゃんとやっておけば良かったと、つくづく後悔する。

拝殿。

ここでも、お願い事はせずに、今までの人生をまず感謝するんだって。びっくり。

普段なら参拝客がごった返してて、柱跡を全て一枚に収めることなんて出来ない。知らなかったが、一番奥が心御柱で中心部で、その更に向こう側本殿下にまだ発掘されていない宇豆柱があると。

改めて、想像を絶する天空の社だ。

本殿前。

ここで初めてお願い事をする。神様がどこの誰か分かる様に、まず住所氏名を念じてからとの事笑。直前に教えてもらっていたのにすっかり忘れ、最後の一礼で慌てて「千葉県〜、と言い始める。

ちなみに、出雲の遷宮は本殿の補修がメインで、伊勢神宮のように建て替える事はないらしい。

なるほど、どう見ても同じ本殿をもう一つ建てるスペースはないと思っていたが。

20年に一度建て替える伊勢神宮は「国宝でもなんでもない」が、技術の継承は出来る。そうではない出雲の社のほとんどは、国宝や重文になっている。