急に親の介護を考えなければいけなくなった

でも、ずっと父親が嫌いだった

関わりたくない・・

こんなふうに思っていませんか?

 

でも結論から言うと

介護によって嫌いな親との関係を修復できます。

 

今回は、私と妹が親の介護をする中で父との関係を修復していった話です。

 

 

 

私は父が嫌いでした。

私の幼い頃の思い出、それは毎晩父が母を正座させ声を荒げて説教している姿でした。

母は黙って『はい、はい』と言うだけ。

私は眠れずに布団の中で息を潜め、成り行きを見守っていました。

長い人生の中で感謝することもあったけれど

イヤな思い出の方が多かったのです。

 

私はとっくに家を出ていて

妹も数十年前に父と大喧嘩して家を出ていました。

両親は二人で暮らしていましたが

暑い夏の最中に、母が急に難病を発症し入院、父が自宅に一人残されました。

母に任せっきりで家事など何もしたことのない父を

どうにか支えなければならない現実に直面しました。

 

私より妹の方がかなり実家に近かったので、

妹は父の介護保険の申請やケアマネさんとの顔合わせ

訪問ヘルパーやデイサービスの契約に立ち会ってくれました。

 

父は家族に辛くあたる人でしたが、外面はよく社交的。

特に若い女性と話すのが大好き。

 

私はケアマネ事業所に電話してケアマネさんを女性にしていただき

ヘルパーやデイサービスの契約にも女性スタッフに行っていただくようお願いしました。

 

案の定、父は機嫌を損ねることなく

初めての介護保険の契約を無事終えたのでした。

 

父は長く腎不全を患っていたので

腎臓食を毎日作ってもらうため自費サービスでヘルパーさんに入っていただき

運動好きな父に合った、リハビリ型のデイサービスに繋げ

どうにか生活が整いました。

 

私と妹が一番気になっていたのは、父の車の運転。

父は『俺は運動神経がいいから事故は起こしたことがない!』

と言い張り、毎日運転して出かける。

でも車はあちこち傷だらけ。

『お父さんが事故して人を殺したら、私たちがえらい目にあうんだからねっ』と

妹と私が何度説得しても効かない。

 

どうしても父に運転をやめさせたかったので、

ある日妹は車の鍵を隠しました。

すると父はメーカーに電話して新しい鍵を作らせたのです。

 

私は免許センターや警察に電話しました。

でもラチはあきません。

父の免許を返納させることはできませんでした。

 

結局、父が施設に入所するまでこの言い合いは続きました。

 

冬になり、石油ストーブしか使わない父だったので火の心配はありましたが

どうにか冬も乗り切り、結局父の一人暮らしは1年間続きました。

 

母がいるときは、自分でご飯をチンすることも掃除も洗濯もしない父だったのに

ヘルパーさんに支えられながら、よく頑張ったと思います。

電子レンジも使えるようになり、掃除や洗濯もできるようになりました。

初めの頃は電話すると

『近所の人は子どもや孫と暮らしているのに寂しい』とこぼしていましたが

いつのまにか『俺は大丈夫だから来なくていい』と言うようになりました。

そのころは私も妹も、父の自立心に感心するようになっていました。

 

『死ぬのは嫌だ、どんなふうになっても生きたい』

『俺は人に負けるのは嫌だ、だから努力する』

いつもそう言っていた父だったので、

足が弱らないために毎日1時間は歩く

腎臓病に良いとされる食事を食べる

デイサービスは休まず行くなど、

生きるための努力は惜しみませんでした。

 

母の退院が決まりましたが、家事ができなくなったので施設に入ることになりました。

父は、母と一緒にいたいからと、やはり施設に入ることになりました。

 

父は自分で施設の近くに駐車場を見つけて契約し、車を持っていきました。

施設入所後も実際に何回か乗りましたが、

キレイな女性施設長の説得で、乗るのを徐々に諦めました。

 

主介護者だった妹は、言い合いしながらも父の介護をよくしてくれました。

父が亡くなったとき、愛おしそうに父を葬っていた妹の姿が印象的でした。

私は父と電話でしか話すことはできなかったのですが、

終末期に会いに行ってやっと『今までありがとう』を言うことができました。

 

介護によって嫌いな親との関係を修復できます。

 

 

認知症の親を面倒見られなくなったら、施設に入れてもいい。