あなたは自分を不幸だと思っている。
それならそれでいい。
あなたは自分が不幸であるという結論を気に入っているのだろう。

だれかのせいで、私は不幸になった。
予期せぬ理不尽な目に遭って、私は不幸になった。

そう思って、
私は不幸だから優しくして、
私はかわいそうなのだから、慰めて
誰か私を幸せにしてと、
ずーっと泣いてればいい。

私はそういう人生は送りたくない。
不幸な目に遭ったとしても
それで自分が不幸になったと思うかどうかは
自分で決めることができるのだ。

つらいことがあったり、
どうしようもない状況に陥っていたり、
自分の力だけではどうしても変えられない
「仕方のないこと」の渦中にあるとき、
私は、その中でも自分にできることを頑張ろうと思う。
その中でも、精一杯やるだけだと思っている。

それが自分の人生を自分で操縦するということだ。

環境や他人が変わってくれるのを待ち続けて
自分の人生の時間を無駄にしたくない。

閉じこもって外を見ないふりをして
死んだように生きるのもイヤ。

シミがついていても、ほころびがあっても、
破れた穴があってもいい。
それでもその人生が私の人生。

私の人生は私のもの。

シミをつけた人を恨んだり
ほころびを作った環境を憎んだり
破れた穴を嘆いてみたりすることは
自分の人生をほったらかして、サボってるのと同じ。

「私は不幸だ」と思っている人へ。

あなたが不幸なのは、あなたが「自分は不幸だ」と決めたからです。
いつでも撤回できます。

撤回するということは、
誰か私に優しくしてください、という願いを捨てることだから
つらいことかもしれない。

でも、結局、他人は誰も本当に優しくなんかしてくれないのだから
自分が自分に優しくなるしかない。

自分の人生の操縦桿を手放すな。
そうすれば、また違った風景が見えてくる。
なんか、思う。

機能不全家庭で育つという
自分には何の非もない試練に耐えて大人になった人には、
「今までよく頑張ったね」という意味で、
神さまから、人よりもより幸福になれるカードがもらえたらいいのに。

現実はその逆。

認知は歪んでいる、
自己肯定感は持てない、
コミュニケーションの逃避癖あり、
人間嫌い、
自尊感情が低い、
無気力、
メンタル疾患予備軍

こんなダメダメカードをたくさん持たされて、
必然的に、人生ハードモードになる。


心理的に健康な親のもとに生まれ育った人は、
当たり前のように幸せな幼少期、子ども時代を生きて
健康な人間に育つ。

でも、そうじゃない親の元に育つと、
大人になった後も、人生がつらいまま。
いろんなことが、うまくいきにくい。

なんなんだ、この理不尽。

子は親を選べないのに。
母は病気だ。
だから母から思ったものが得られなくても仕方がない。
そもそも、求める方が間違いなのだ。

と、いうふうに考え初めて数日。


母に何も求めないのが正しいあり方だと思ったら
なんだか心が軽くなった。

そしたら不思議と、一日がゆったり流れる。

子どもを保育所に預けて働いてみるのもいいな
という気持ちにもなってきた。
それがすごく爽快な気持ちなのだ。

今までは、そういうことを考えると
「私には無理だろうな…」
という感情が浮かんできた。

ということは、
無意識に、母が私にそうすることを望んでいない
というふうに思っていたのだろうか。

母は専業主婦で子育て専念することを私に求めている(と私は思っている)。

何故なら母もそうだったからだ。


私は母と違うことをすることに、抵抗を感じていた。

表面上はあれこれ理由をつけて、
「自分もそのほうがいいと思っているから」その通りにする。
自分の選択として納得する。

が、無意識レベルでは、それは「母の声」「母のやり方」。
母が選択するように選択しなくてはという怖さがある。
母の歩いていない道を歩くことが怖い。

怖い?
何が?

母を見捨てるような気がする?
母に見捨てられるような気がする?

母の歩いてきた道を歩くと、母に喜んでもらえる?
母の人生を肯定するような気がする?


そうやって私は自分の人生を捨てて、
母のために消費しようとしてきたのか。


何故だろう????

そこまでして認めてもらいたいのか?
そこまでして母を慰めたいのか?
母をヨイショしたいのか?


何故?