読書記録〜愛するということ 新訳版 | 日々の日記

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こちらの本は、
今年1月のドラマ
『アイのない恋人たち』にも、象徴的に出てきました


  愛するということ 新訳版 エーリッヒ・フロム 鈴木晶 訳

 

 

 

 読書記録〜というか要約みたいな忘備録になってしまいました。

以下、私的に気になるところのメモです。




愛するということは技術である。

 

 

愛を分類すると


親子の愛、家族愛、自己愛、異性愛、人間愛、神への愛

 

がある


愛する、ということは自然に身につくものではない。


人間は生まれた時に、ありのままを母に愛されるところから始まるのだが

愛については何も学ぶ必要がなくて、勝手に生まれるものである、

というのは、ほとんどが誤っている考えだ。

 

人間とは、そもそも孤独という不安感を克服したいという欲求が強い。


その不安感を解消する方法として、人間社会では、

・祝祭的興奮状態による一体感、

・集団への同調(現代社会における会社や大衆娯楽)、

・創造的活動(素材との一体化)がある。


しかしいずれも、

・一時的な、

・偽りの、

・人間以外

との一体感でありそれのみでは完結しない。


完全な人間同士の一体化、他者との融合は

愛にある。

 

成熟した愛とは、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。


人間の中にある能動的な力であり、

人と人とを結びつける力である、

愛によって孤独感、孤立感を克服するが、

自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。

 

愛の能動的性質の基本的要素とは、

・配慮

・責任

・尊敬

・知

である。


愛とは、愛する者の生命と成長と幸福を積極的に求めることである。

 

誰かを愛することは、愛する能力を集中し、実現することである、

一人の人間を愛するということは、

人間そのものを愛することでもある。

 

自分自身の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、

すなわち気遣い・尊敬・責任・理解(知)に根ざしている。

 

 

現代社会における愛の崩壊、つまり資本主義社会に生きる人間は多くの問題を抱えている。


現代人は商品と化し、誰もが孤独である。

結婚においても、中心と中心の関係にはならず、性的適応のみが愛の結果とされている。

子育てにおいても偽りの愛による神経症的な症状が見られる。

 

二人の人間が自分たちの存在の中心と中心とで意志を通じ合う時、

それぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、初めて愛が生まれる。


その中にしか人間の現実、生、愛の基盤はない。

そうした愛は、絶え間ない挑戦であり、活動であり、成長であり、共同作業である。


自分自身から逃避することなく、自分自身と一体化することによって

相手と一体化するということである。

 

二人の結びつきの深さ、それぞれの生命力と強さが実ったところにのみ愛が認められる。

 

愛の技術の習得には、

規律、集中、忍耐、技術の習得への最高の関心を抱くことが必要である。

 

具体的には、規律が楽しいと感じられることや

何もせずに一人きりでいられる事。


何につけても精神を集中させるよう心がけ、

全身で現在を生きる事である。

自分自身に対して敏感になり、ナルシシズムを克服し謙虚さと客観性と理性を育てる事である。


ナルシシズムからの脱出には「信じる」ことの習練が必要である。


この信念とは、多数の人が言うからというような根拠のない信念ではなく、

自分の思考力・観察力・判断力に根ざしている。