小学6年生で、修学旅行に行きますよね。

ここで、私はある出会いをしました。

話は順に説明しながら伝えてゆきますね。


あがり症の私にとって、修学旅行で一番の問題は、バスで移動中に修学旅行先の施設について書かれた、自作パンフレットの説明をすることでした。

修学旅行先である、国会議事堂の説明をするのが私の役目になってしまっていたのです。


正確には、やらされたのですが・・・


修学旅行の1月前に、クラスで修学旅行先の自作パンフレットを作る事が決まっていました。


パンフレットは作成したら、移動中のバスのなかで説明するため、発表者や資料集め、記事を書いたりする役割を決めることになっていました。


当然、私は記事を書くことを担当しました。


そこまでは良かったのです。


前日の日になり、同じグループのとし君が「ゆでダコの書いた内容は読みにくいから、お前がやれよ!」と・・・


当然、とし君は発表する役割だったので、準備の段階では何もしていません。


していることといえば、私や女の子をバカにしたり、茶化したりすることばかりでした。


グループのメンバーは、その意見に反対だったのですが、この話を聞いた担任の福ちゃん(福田先生)が「としかずくんの意見は、身勝手だとは思うが、キミのあがり症を克服するチャンスなんじゃないのか?どうだやってみないか?」


何故か、担任の福ちゃんまでもがとし君の味方になるなんて…


修学旅行は、絶望的な時間になることがこの時確定した瞬間でした。


担任の福ちゃんが意見するから、グループメンバーも「先生が言うなら・・・やってみたら!」だって。


何も言えなかった。


修学旅行の前夜は、興奮して眠れない!なんていいますが、私の場合は絶望的すぎて寝れなかたんです。


そんな夜を過ごし、気づけば朝になっていました。


そして、ついに修学旅行当日がやって来ました。


パート2に続く・・・(少し長いので続編に続きます)




小学校に入学してからも、あがり症の私は全く変わりありませんでした。

そして、3年生の夏休み明けの新学期に、あだ名が決まることになったたのです!


新学期の一番最初に、新しい席順がくじ引きで決められたのです。


いつもは、後ろのほうか、ローカや窓ぎわの席に陣取って居た私の席が、事もあろうに先生の教壇の真ん前へ!


AKB48的に言うなら、センター!って感じです!


目立ちたいわけでもないにも、センターに席が決まり、殆どの人が私よりも後ろにいるんです。


これが、アダ名を生むきっかけになったのです。


それは、国語の時間でした。


よくある授業風景だと思うのですが、本の朗読がその日の授業内容でした。


徐々に順番が近づいてくると思うと、緊張感が高まって来たのを思い出します。


いつも、本の朗読では緊張してしまい、どもっていました。


そのため、この日に備えて私は毎日家に帰って、国語の本を朗読していました。


練習していただけに、失敗したくない、恥ずかしい事にならないようにしないと、そう思えば思うほど緊張に飲み込まれていきました。


ここからは、もう想像できると思います。


そうです、緊張はピークになり、席を立つ時からイスを倒してしまい、朗読はどもりまくりでした・・・


最悪だったのは、緊張して赤くなる耳だけが皆の注目を集めたことです。


席は最前列でしかもセンター!


ほとんどの人が、私を見れば後ろ姿しか見えない。


そのなかで、赤くなる耳はクラスメートの格好の標的になったのです。


国語の時間が終わると、後ろに居た武ちゃんが一言


「さっきのはひどかったな!見たか?あいつの耳!
真っ赤になった耳は ゆでダコ! みたいだっな!」


これから、私のアダ名は「ゆでダコ」に改名されたんです。

幼稚園のころの写真を見ると、沢山の友達が自分を撮ってもらおうと前へ前へと出てきているのに、自分はひっそりと友達の背後に隠れるようにして赤くなる耳を隠していました。


もう、あがり症だったのだと思います。


この頃のことはよく覚えていないんです…


でもそれは、大半の人が思えていないのではないかと想像しています。


もし、自分の幼稚園のことを、覚えている人がいたらコメントください。


コメントを寄せてくれるほど、有名なブログにはなっていませんけどね(笑)


でも、本当にこの頃の記憶がないんです。


あるのは、耳を隠している写真ばかり。


肝心の記憶が残っていないのです。


記憶ばかりは、どうにもなりませんね。


しかし、幼稚園の写真では後ろに隠れているものが多い。


この頃から耳まで隠しているので、きっと耳が赤くなることをからかわれていたことが容易に想像できます。


自分のことなのに、想像できるって言葉を使うのはおかしいですね。


この頃の、子供たちは残酷なので、ひどいことを言われていたのかもしれません。


記憶にないのではなく、あまりにも残酷な記憶なので、思い出せないように心の底に沈めてあるのかもしれない。


記憶がないのは、唯一の救いなのかも…
こんにちは、ゆでダコです!


今回は、幼稚園の頃の話を綴ってみたいと思います。


母が言うには、幼稚園に通う前までは大はしゃぎする元気な男の子だったようです。


あがり症なんてことは、全くなかったようです。


3歳の頃の自分を、父親がビデオで撮影してくれていました。


嬉しい半面、あがり症ではなかった3歳の頃の自分を見えるのは怖かったです。


3歳の頃のビデオを見ると、砂場で元気に遊んでいる自分が映っていました。


その映像を見た時、不覚にも羨ましいと思ってしまったんです。


3歳の自分に憧れてしまう自分がいる!


そんな自分に対して、自己嫌悪です!


そのビデオは、今でも時々見ますよ。


一番輝いていた?自分を知っておくことは重要な気がしたので・・・


一番輝いていると、表現するのも変な気がしますが、でも明らかにカメラを意識したポーズや、元気に話す姿、さらに耳が赤くなる事も当然ありませんでした。


このビデオを見ると、胸が苦しくなりますね。


3歳の自分に負けている・・・
3歳の自分に憧れる・・・
3歳の自分が輝いて見える・・・


情けないのですが、その全てにがっかりするんです。


3歳の頃の自分は、あがり症ではなかった!


この頃の自分を取り戻したい!

私は小さな頃から、あがり症でした。


何をするにも、後ろに隠れて居ました。


写真にも、極力写らないように逃げまわるほどでした。


そんな自分が常に嫌でした。


このままでは、何も改善できないし、何も変わらない!


そう思い、ブログにあがり症の克服にむけた闘病記?を綴ることにしました。


このブログを誰が、どのように思って見てくれるかわからないけど、あがり症で困っている人が居ることを知ってほしい。


このブログを、自分と同じ悩みの人が見てくれているとしたら、、私もあなたと同じ悩みがあることを知っていてほしい。


あがり症を克服してみたい。


そう思った時、自分と向き合うためにも、その時に思ったことを記録を残したほうがいい!


そう思って、今回のブログを書くようにしました。


自分と向き合い、自分の人生を変えたい!


きっとそれが出来るのは、自分しかいな!


そんな事は、ずっと前から知っていたけど、向きあおうとしなかった。


でも、これからは日々の出来事と、あがり症に対する私見をつづって行きたいと思います。


今日は決意表明日とします!
小さい頃からあがり症で、人前にでると緊張してしまい、すぐに耳が赤くなってモジモジしていました。


赤くなる耳を見て付けられたあだ名が「ゆでダコ」・・・


ゆでダコ!ですよ。もっとマシなアダ名はなかったのか?今でもそう思います。


でも、あがり症の僕が言うのもなんですが、本当に耳が真っ赤になるんです。


人前に出ると緊張して、耳が赤くなるんです。


しかも、真っ赤に!



幼稚園のお遊戯会の写真を見ると、真っ赤になった耳が写っている写真がいくつか出てきています。それぐらい小さい頃から、あがり症だったんだと思います。


小さいながらも、赤くなる耳を撮影されるのが嫌だったんだと思うのですが、耳を手で隠している写真も何枚かありました。


小さい頃からあがり症で、幼稚園の季節ごとに行なわれる行事では、カメラマンのよる写真撮影があるのですが、写真に残るのが嫌だったでしょう、よく逃げまわっていたように思います。


家でも、カメラを避けていたと母親によく言われていました。



今から思えば、幼稚園の頃から、人前に出るとすぐに緊張していた記憶があります。


その原因を思い出そうとすると、気分が悪くなるんです。


今も、原因はわからないし、極度のあがり症は続いている。


このあがり症をどうにか出来ないのかな?